『干支(えと)の漢字学』 水上静夫 著
- 著者: 水上静夫 著
- 出版社: 大修館書店
- 発行日: 1998年12月10日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 1980円
占いの系譜の学術的解説
占い好きの日本人は誰でも「えと」という言葉を知っているが、正しく説明できる人は少ない。
著者の水上静夫(みずかみ しずお)は東京大学文学部中国哲学科で中国の古代信仰などを研究してきた文学博士である。
「干支」は三千数百年前から存在しているという。「甲骨文字」(亀の甲羅や動物の骨に刻まれた文字)や「金文」(青銅器表面の文字)を研究する上で、干支や天文暦法といった分野の研究は避けて通ることはできなかったがゆえに、著者は「占い」に精通することになったのである。
干支は60回(60年)という数字で回転(循環)し続ける。この干支60の循環は無限に循環できるすぐれた循環序数詞であると水上は言う。
この60という循環を古代中国が発見できたのは、湿潤な日本や中国山東方面などと違って、乾燥した中国山西方面では夜空に輝く星影(天体)が比較にならないほどに明瞭に見えるため、天文学と暦法が発達したというのだ。
干支(えと)とは十干と十二支の略称
「干支(えと)」とは、「十干・十二支」の略称である。「10の干」と、「12の支」である。10と12の最小公倍数は60である。だから、60という数字で永遠に循環するのである。60歳を「還暦(かんれき)」(暦が循環する)というのは、このためである。
干は、天であり、支は、地とも別称されるという。干は日(じつ: 太陽)にもとづく符号であり、支は辰(しん: 星)にもとづく符号であるという。
干支は、古代中国の殷(いん)帝国においては、既に国家運営の基本として厳然と施行されていた。しかし、殷王朝は紀元前1066年に周によって滅亡されてしまう。
殷王朝で使用されていた甲骨文字が忽然とすたれてしまったのは、この王朝滅亡が原因だった。しかしながら、干支という技術は引き継がれて残ったという。
十干十二支の10という数字と12という数字がそれぞれどこから来たかというのも論争の的になっている。
10は10個の日を表し、なぜ10になったかというと、人間の両手指が10であるからではないかという。原初的に数えるにはやはり人間は指を折って数えるのが、一番普通なのだろう。おそらくは、「五行」の思想も、片手の指の数の5本から来ている可能性が高いとみられている。「五行」とは、「木火土金水(もっかどごんすい)」(本書においては「水・火・木・金・土」となっている。)という世界を構成する五つの要素のことである。
そして12は、平年度の12個の太陰月の循環から来た数字であろうという。
ちなみに、十二支に動物名がそれぞれあてられているのは、途中から生じた便法だという。もともと古代社会においては、干支の知識は王室・上流階級・学者といった知識階級だけのものであったが、時代がくだるに従ってこの知識も一般化しはじめ、また庶民にわかりやすく記憶されて利用されやすいように、動物の名前がそれぞれに付けられたという。
古代の占いの内容
古代中国 殷王朝の人々が、どのようなことを占っていたのかは、甲骨文字を解読することによって知ることができる。その内容がおもしろいと思った。水上は大略して次のことを挙げている。
「犠牲 戦争 狩猟 王の旅 来る十日間の吉凶 昼と夜の吉凶 気候 来る年の収穫 病気 死と生 誕生 夢 建設」 などである。
考えてみると、今の占いの内容とほとんど一緒なのではないかと思った。「犠牲」が実際にどのようなことを指すのか、ささげるべき犠牲か、強いられる犠牲なのかはわからない。しかし、戦争は、今の世の中でも人々の大きな懸念でありつづけているし、狩猟や建設は経済の生産活動を意味するし、気候変動は今の世では古代よりも大きな心配事かもしれない。病気や生と死は、新型コロナウイルス感染が蔓延している現在では最大の懸念事項だ。
本書は、この本をもってして占いに使うことはもちろんできない。しかし、占いという古代から続けられてきた人間の営為の来歴と経緯を文化人類学的に知りたい方や、占いの研究者や漢字学の研究者にとっては、必読の書だろう。
単行本