『禅林句集』 足立大進 編
- 著者: 足立大進 編
- 出版社: 岩波書店
- 発行日: 2009年4月16日
- 版型: 文庫本
- 価格(税込): 絶版
禅で重視される「禅語」
「禅林」とは、禅宗寺院のことである。つまり、「禅林句集」とは、禅寺で用いられる語句・言葉を集めた本ということである。禅で用いられる語句を「禅語」とも言う。
禅宗は南インド出身のボーディダルマが中国に布教して広まった。いわゆる「達磨禅師(だるま・ぜんし)」である。知らないと言う人でも、目を描き入れるダルマを例示すれば、「ああ、あの!」と言うに違いない。達磨は、6世紀頃にインドの南天竺国国王の第三王子として生まれたという。紀元前6世紀頃に王子として生まれながらも出家した釈迦の境涯にも似ている。
インドから中国に伝わった禅宗が最初に日本に入ったのは、奈良時代の僧の行表(ぎょうひょう)からだと歴史にはある。この行表の弟子は遣唐使となった最澄である。そのためか、最澄が開いた比叡山からは、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗という二大禅宗が出ている。
禅宗では禅の言葉たる「禅語」がとても重要視されて頻繁に使われるが、そもそもこれらの言葉がどこから来たかというと、『四書五経』などの中国のありとあらゆる古典から引いた語句である。
『四書五経』とは、『論語』、『大学』、『中庸』、『孟子』の四書と、『易経』、『書経』、『詩経』、『礼記』、『春秋』の五書を指す。
ただし、禅宗では、単にこれらの言葉を暗記すればそれで最上とするわけではない。その言葉をきっかけに自らの境遇と現在の環境に照射して、猛烈に考えることを要求する。これが「公案」と呼ばれる問題であり、公案を与えられた雲水は、この解答を編み出して老師に報告しなければならない。禅宗のこの「公案」という責め苦は、現代のMBAの「ケース」という学生への責め苦のひな型になったのではないかとさえ、私は思っている。
「文字によらず」という不可解さ
禅宗では、このように、「禅語」、「禅の言葉」、「句集」を修行で多用するにもかかわらず、きわめて不可解なことには、禅宗は「不立文字(ふりゅうもんじ)」、すなわち、「文字によらず」、「文字に頼らない」ということを伝法の根本的方法としているということである。文字や言葉を提示して考えさせるにもかかわらず、文字や言葉には囚(とら)われてはいけないというのである。
本書編者の足立大進は、臨済宗円覚寺派管長だった方だが、編者も「序」で次のように言っている。
「不立文字を標榜する禅に、典籍が最も多いのは奇妙である。他の宗門では、その宗祖の言行が教綱であり、そこに教理が立てられ、教化が行われる。一方、禅門では歴代の祖師は直指人心の旗印のもと、それぞれ独自の宗風を挙揚される」
1字から17字以上の語句
本書の目次と本文を見ると、「1字」、「2字」、「3字」~「15字」、「16字」、「17字以上」の語句までと、編集されて並んでいる。
たとえば、「1字」だと、
- 阿(あ)
- 唖(あ)
- 唯(い)
- 喝(かつ)
- 合(ごう)
といったような1字が並んでいる。解説はない。
たとえば、「2字」だと、
- 暗機(あんき)
- 一如(いちにょ)
- 葛藤(かっとう)
- 休去(きゅうし され)
といったような2字が並んでいる。解説はない。
たとえば、「3字」だと、
- 五神通(ごじんつう)
- 三十棒(さんじゅうぼう)
- 主人公(主人公)
といったような3字が並んでいる。解説はない。
たとえば、「4字」だと、
- 安心立命(あんじんりゅうみょう)
- 一刀一段(いっとういちだん)
- 一字不説(いちじふせつ)
- 禍及私門(わざわい しもんにおよぶ)
といったような4字が並んでいる。解説はない。
また、たとえば、「10字」だと、
- 松無古今色 竹有上下節(松に古今の色無く、竹に上下の節あり)
- 天共白雲暁 水和明月流(天は白雲と共に暁け、水は明月に和して流る)
といったような10字が並んでいる。解説はない。
自分で考えることの重要さ
通常の教科書ならば、必ず解説が載っている。
しかし、禅の公案では雲水それぞれが問題について考える事が修行なのだから、解説が無いというのは当然のことなのである。
その意味で、『禅林句集』は、自分で考えることの重要さを教えてくれているように思う。
私は疲れて本を読む気もなくなった時に『禅林句集』を当てどもなく開く。偶然開いたページで目に入った語句について、文字のイメージを基に情景を思い浮かべる。それで疲れがなくなるわけではないのだが、しばし忘れることができるし、癒される気分になる。こんな使い方をしていると言ったら、たぶん老師から「喝」をくらうと思われる。しかし、『禅林句集』は、それでも凄いと思う。