歴史

古代から中世、近世、大戦まで日本の戦争に対する態度

2020年4月14日

『日本の戦争 何が真実なのか』田中英道

  • 著者: 田中英道
  • 言語: 日本語版
  • 出版社: 育鵬社
  • 発行日: 2016年12月10日。Kindle版は2013年8月15日
  • 版型: Kindle版・単行本
  • 価格(税込): Kindle版:1,320円、 単行本:絶版

 

縄文時代から三韓征伐、元寇、薩英戦争、第二次大戦まで広い視野

本書は日本の戦争の歴史史実を淡々と概観した本であるが、驚くほどに視野が広い。

そのスコープは縄文時代から始まり、三韓征伐、刀伊の入寇、元寇、薩英戦争、第一次大戦、第二次大戦まで、日本が経験してきたありとあらゆる戦争を包括すると言っても過言ではない。

なぜそんなたぐいまれなる広範な視野をこの著者は持てるのかということに私は目が行った。

著者の田中英道は、東大仏文科美術史学科を出てフランスのストラスブール大学で博士号を取得した。仏伊美術史の第一人者であると共に、日本美術の世界的価値に着目して研究を続けているという。なぜ美術史の専門家が戦争史を?と普通は思うが、実はそこにこそ、この広範長久な視野の理由が存在すると思われる。

縄文時代の遺跡から発掘された骨のなかには、石鏃(せきぞく)が刺さっていたりして戦争で殺されたとみられるケースがある。しかし、それを同時期の欧州やアフリカの発掘例から比べると、縄文時代の戦争(暴力)発生率はきわめて少ないという。縄文文化は1万6500年前に出現した高度で複雑な文様の土器を持つ日本独特の文化であるが、この縄文文化の遺跡が朝鮮南部からも見つかっている。韓国ではこの発見から縄文文化は朝鮮に生まれて日本に渡ったと主張しようとしたが、朝鮮南部の縄文遺跡は弥生時代末期のものとわかった。すなわち、日本から半島に渡った文化だと判明したという。つまり、5~6世紀までに日本人は朝鮮南部に行って在留していたことがわかる。日本最初の対外戦争である、古墳時代の「三韓征伐」は日本初の侵略戦争ともされているが、著者は、この戦争の動機は、半島南部にいた在留邦人の保護だったのだろうと述べている。

続いて半島で起こった「白村江の戦い(はくすきのえ のたたかい)」も、三韓征伐と同様に、半島の在留邦人ということを勘案すると当時の事情がよく理解できるという。白村江の戦いは唐の介入(唐と新羅の連合軍)によって日本は敗退した。中国と半島の関係性は、この時から長大な時を経た現在に至るまで、彼らの頭の中ではほぼ変わっていないと私(書評者)には思われる。

 

海外から日本への侵攻

平安時代にも大陸から日本への侵攻がったという。「刀伊の入寇」として知られる女真族の壱岐、対馬と九州北部への侵攻である。モンゴル帝国軍が日本に侵攻した「元寇」よりはるかに先立つ。この女真族の侵入に対して、壱岐の藤原理忠の軍は戦うも全滅させられてしまう。その後、大宰府に左遷されていた藤原隆家が参戦して勝利し、女真族を日本から排除した。

藤原隆家が女真族を撃退してから約二百五十年後の13世紀後半、当時世界最強のモンゴル帝国軍は日本への侵攻を虎視眈々と進めていた。フビライは日本に「朝貢国になれ」という国書を日本に送った。モンゴルの国書には「兵を用いるに至らん。それ誰か好むところや」と書いてあり、日本側はその文句に「従わないならば戦争も厭わないぞ」という脅迫をみてとり、これを黙殺した。モンゴル帝国は、属国の高麗に戦艦千隻の建造を命令して日本への侵攻を準備した。一方、時の執権 北条時宗はモンゴル帝国の侵攻を予想して御家人たちに命じて、防御戦を準備させていた。その後の2回にわたる蒙古襲来の顛末、モンゴル帝国軍の日本での大敗と、それに続くモンゴル帝国自体の世界中における衰微は誰でも知っている通りである。

 

西洋による日本の植民地化を失敗させた2つの戦争

大国中国(清王朝)さえイギリスが仕掛けたアヘン戦争によってほぼ植民地化された様子を見て、日本の武士たちは危機感を抱き攘夷を叫んだ。このままでは日本も西洋列強の植民地になってしまうと思ったのだ。

大英帝国など西洋列強による日本の植民地化の動きを挫折させた2つの戦争として、著者は「薩英戦争」と「下関戦争」を挙げている。

1863年に起きた薩英戦争は、強大なイギリス艦隊が薩摩藩城下に艦砲射撃を加えた。薩摩軍は旧式の大砲で反撃し、数隻の英国戦艦を中破・大破させている。戦艦ユーライアスの艦長や副艦長は戦死した。薩英戦争は結局莫大な「見舞金」を英国側に支払ったが「賠償金」という名目を最後まで拒否している。江戸幕府は賠償金を支払った。この戦いは事実上、薩摩軍の勝利だったと著者は言う。戦いの死者数も英軍側のほうが薩摩軍側よりも多かったからである。

1863年~64年には、長州藩が下関海峡(馬関海峡)を通過する外国船に砲撃を行ったことに対する報復として、イギリス、フランス、オランダ、アメリカが四ヵ国で連合艦隊を組織して長州藩に侵攻した。長州藩の軍艦も海戦で応じるがやがて戦闘不能となり、長州藩の砲台も欧米連合艦隊の艦砲射撃の集中砲火を浴びた。この時にフランスの陸戦隊が長州に上陸したが、これは、日本史上初のヨーロッパの軍隊による侵攻上陸だったとされている。長州藩は敗北し、海峡の砲台を撤去して賠償金を支払った。

「薩英戦争」と「下関戦争」の2つの戦争は、いずれも欧米列強の強力な火砲を有する海軍軍艦を前にして、日本の軍事力の近代化の遅れを日本の武士たちに認識させた。しかし、欧米列強は、貧弱な武器しか持たない日本の武士たちが実際にふるった戦闘力と士気の高さに心底畏怖せざるを得なかった。日本は武力によって植民地化するにはきわめて困難な国であるという認識を、この2つの戦争は欧米列強に抱かせるにいたったのである。

著者は、古代から中世、近世、近代、大戦に至るまで、日本の対外戦争は、外国による侵略を目前にして、すべて日本自身を防衛するための防衛戦争であったとしている。広大な視野からみた著者の所論は、きわめて截然(せつぜん)として意義深い。多くの日本人がこの書を手に取ることを期待したい。

 

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石川 雅一

石川 雅一

 東証ペンクラブ 会員。学校法人評議員。 元日本放送協会で国際報道に従事。アフガニスタン内戦、カシミール内戦、パンチャヤト大暴動( ネパール)、湾岸戦争、アメリカ航空宇宙局(NASA)、国連安全保障理事会、ニューヨーク市警、米国核廃棄物、ロスアラモス国立研究所、米国海軍、米加漁業紛争、京都の歴史文化伝統産業などを取材。国際機関アジア太平洋放送開発機構講師(JICA専門家)としてクアラルンプールでアジア各国の放送局のジャーナリストを育成指導。金融市場分析のテクニカルアナリストとして日本の全産業三千数百社の上場企業のテクニカル分析をダイヤモンド社で三季にわたって完遂。  早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程中途退学。早稲田大学大学院商学研究科専門職学位課程修士(研究科長賞受賞)。MBA( Le Cordon Bleu; Global Service Business, WBS)。Certified Financial Technician(CFTe Ⅱ)。 一級小型船舶操縦士、剣道初段、趣味は能楽。

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