『叡山の和歌と説話』 新井栄蔵, 渡辺貞麿, 寺川真知夫 編
- 著者: 新井栄蔵, 渡辺貞麿, 寺川真知夫 編
- 出版社: 世界思想社
- 発行日: 1991年7月10日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 絶版
比叡山東麓の「叡山文庫」
京阪比叡山鉄道のケーブルカー(写真© 石川雅一)
比叡山の東麓、比叡山鉄道ケーブルカーの始点である「ケーブル坂本駅」の近くに、比叡山関係の仏教専門図書館「叡山文庫」がある。叡山文庫は、今から百年前の1921年に、伝教大師一千百年御遠忌の記念事業として開設された。寛永寺の天海大僧正の収集に成る天海蔵書約1万1400冊,東塔の実俊大僧正の収集した真如蔵書約9600冊など,総数11万点の貴重きまわりない古文書典籍が収蔵されている。
本書は、12人の国文学研究者たちが8年間の歳月をかけて叡山文庫に通い、典籍を調査して書いたそれぞれの論文、合計12本の論文をまとめた書である。12本の論文は、次のように並んでいる。
- 仏教経典の注釈における和歌引用
- 覚盛法師とその周辺
- 法則を書く僧たち
- 慈円と日吉山王権現関連歌
- 日吉山王和歌の世界
- 教児伝
- 成意往生説話の周辺
- 法道仙人と飛鉢譚
- 人造人間の説話と論理
- 宗存版『神僧伝』零葉、そして唐土猿楽起源伝承
- 琴御館宇志丸伝承の考察
- 山王神における中世的変革
「はじめに」で新井栄蔵氏は、「特にこういう主題でということもなく、それぞれの得手勝手でテーマを決めたが、特別な違和感もなくそれぞれの所を得ているようにみえる」と述べている。本書のタイトルの通り、主に比叡山にまつわる和歌と説話が中心命題となっている。
中世の大学としての比叡山
欧州では多くの有名大学が中世の神学校として始まったという経緯と同じように、日本の中世においては、比叡山が一種の大学に近い地位を占めていた。武将だった父を戦乱で失った天才少年の法然が比叡山に送られたように、全国の俊才たちは比叡山をのぼったのである。同じく平安仏教で顕著な地位を占める高野山が密教単科大学であったのと比較して、比叡山は法華経、密教、阿弥陀学、釈迦に回帰する運動ともいえる禅宗などが揃った総合大学であった。特に、法華経ほど平安文学に影響を与えた思想はほかにないと言っても過言ではないだろうと私には思える。また鎌倉時代には、阿弥陀学と禅宗が庶民と武士階級に絶大な影響を与えた。
私が本書を買った理由は、説話に興味がないわけではないが、特に比叡山にまつわる和歌を見てみたかったからである。その意味で、本書中、石川 一(いしかわ はじめ)氏の「慈円と日吉山王権現関連歌」と、三村晃功(みむら てるのり)氏の「日吉山王和歌の世界」は非常に興味深かった。
日吉大社の和歌
比叡山は、788年に僧侶の最澄が「一乗止観院(いちじょうしかんいん)」という草庵を山の上に創建し、本尊として薬師如来を祀ったことが「比叡山延暦寺」の歴史の始まりであり、 寺号は、当時の元号「延暦」にちなんで823年につけられた。しかし、比叡山はそれよりずっと以前から神の山として「ひえのやま」と呼ばれてきた。そして山の東麓には日吉大社があった。遥か昔の崇神天皇7年に創建されたとされるこの神社は、その後、桓武天皇の庇護のもと最澄が山上に延暦寺を開くと、天台宗の守護神として祀られるようになった。
日吉大社(写真© 石川雅一)
「慈円と日吉山王権現関連歌」と「日吉山王和歌の世界」では多くの和歌が紹介されているが、私が惹かれた歌を少しだけ挙げるとすると以下のような歌である。
身の憂きは日吉の山も雲やおほふ 心の闇に猶迷ふらん
夢に迷ふ心の闇もあはれかけて 必ず誘へ西に行月
おしなべて日吉の影は曇らぬを 涙あやしき昨日今日哉
いのること神より外にもらさねば 人にしられずぬるる袖かな
志がの浦の波間に影をやどす哉 鷲のみ山の有明の月
「鷲のみ山」とは、釈迦が『無量寿経』や『法華経』を説いたとされる、インドのグリドラクータ山こと、霊鷲山(りょうじゅせん)のことである。霊鷲山を法華経の山である比叡山にかけているのだろう。
平安時代以降、日本の神道と仏教は神仏習合によって平和なマージを遂げていた。明治新政府が神道の政治利用のために神仏分離令(神仏判然令)を発するまでは。
叡山文庫は、今から百年前の1921年に伝教大師1100年御遠忌の記念事業として開設されたことは冒頭に述べた通りだが、来年2021年は「伝教大師最澄大遠忌1200年」である。叡山文庫も開設百周年を迎えることになる。