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シベリアの強制収容所からインドまでの徒歩脱出記

2020年4月15日

脱出記 シベリアからインドまで歩いた男たち』 スラヴォミール・ラウイッツ,  海津正彦 訳

  • 著者: スラヴォミール・ラウイッツ,  海津正彦 訳
  • 言語: 日本語版
  • 出版社: ソニーマガジンズ
  • 発行日: 2005年9月10日。Kindle版は2013年8月15日
  • 版型: 単行本・文庫本
  • 価格(税込): 単行本:2,150円、 文庫本:924円

 

シベリアの強制収容所からインドまでの徒歩脱出記

私が本書を手に取ったのは、本書を原作として劇化された映画を観たあとだった。

ピーター・ウィアー(Peter Weir)監督による映画の製作会社がナショナルジオグラフィック(National Geographic Films)であるということに惹かれて私はこの映画”THE WAY BACK”を観たのだった。それは、ナショナルジオグラフィックだったら、スタジオ撮影よりも現地撮影を重視するだろうという私の推測に基づく理由だった。(映画”THE WAY BACK”は、同じ名称でバスケットボールを描いた別の映画があるのに注意。)

映画を観て正解だと思った。シベリアからインドに至るまでの長い逃亡路の描写に現地ロケーションの美しい映像が数多く盛り込まれていたからである。プロットは気が滅入るような母国ポーランドのソ連軍による蹂躙と逮捕尋問、そしてシベリアの強制収容所送りという筋で始まり、脱出後は極寒やゴビ砂漠での渇水から仲間が次々と死んでいく場面が続いたが、それでも現地ロケの映像は透徹する美しさだった。

本書に書いてあるキャッチフレーズには、次のようにある。

「ポーランドの陸軍騎兵隊員だった著者は、ソ連当局にスパイ容疑で逮捕され、第二次世界大戦さなかの1941年、シベリアの強制収容所に流された。こんな極寒の地で、このまま朽ち果てたくはない!意を決した彼は、六人の仲間と脱走を図ったものの、その前途には想像を絶する試練が待ち受けていた。」

 

ノンフィクションかフィクションかという論争

強制収容所があったシベリアから逃亡して落ち延びたインドまでは、直線距離にしておよそ3000マイル、ほぼ4800キロ近くある。ルートは蛇行しているので、ゆうに5千キロは確実に超える。その道のりは、シベリアから南下してアジア最大の淡水湖であるバイカル湖畔を歩き、モンゴルのゴビ砂漠を越え、新疆からチベット、ブータン、そしてインド西北部へと至る長大な道なき道だった。それは、日本列島の稚内から宮崎までの距離の2.5倍に相当する。これを彼らは徒歩で歩きとおしたのだ。

この一般人には到底無理だと思えるまるで荒唐無稽なファンタジーのような設定ゆえ、感動する人々が絶えなかった反面で、この執筆が事実であったことを疑う人もいた。

2010年12月4日のBBC Newsは、"How The Long Walk became The Way Back"(「小説『ロングウォーク』はどのようにして映画『ウェイバック』になったか」)という記事を載せた。その中で、ウィアー監督自身も、本に書いてあることが本当か否かについては'Well, there's a controversy.'"「まあ、論争はある」と言っていると記事は書いている。

この論争は、この本が最初に出版された1956年の時からずっと続いているという。なぜならば、著者のスラヴォミール・ラウイッツが語っていることが事実であることを誰も証明できなかったし、それが事実でないということも誰も証明できなかったからである。何の文書も残っていないし、証拠も無いし、彼の仲間だった逃亡者たちも消え去っているからだ。

しかし、BBC記者Hugh Levinsonは、BBCラジオ放送でラウイッツがこのとてつもない大逃亡を遂げたのかどうかを検証するドキュメンタリー番組を作った。ウィアー監督もまた自身でこれに関する検証を始めた。しかし、大逃亡が事実だったかどうかまでは結局わからなかった。事実だと判明したのは、ラウィッツが実際にソ連の強制収容所にぶち込まれていたことだったが、そこから脱走したのかまでは証拠をつかむことはできなかった。

 

著者の主張

著者ラウィッツ(1915~2004)は、本書の「おわりに」で、次のように語っている。

「東ポーランドのわが家を失ったのは、ルーズヴェルトとチャーチルがヤルタで仕掛けたペテンのせいだった。二人はヤルタで条約に署名して、東欧地域のすべての国々を、実質的にロシアに譲り渡した。その結果、それらの国々は、ロシア人侵略者の独裁に従わざるを得なくなった。私は、最初の妻も、家族のほかの者たちも失って、行き場がなくなり、故郷がなくなり、文無しになった。私が収容所から脱出したあと、インドで健康回復に努めている頃、同胞たちは、イギリスの同盟軍といっしょになってあちこちの前線で戦闘に加わっていた。だが、逃走しているあいだ、私たちは戦争の進行状況についてなんの知識も得られなかったことを思い出してもらいたい。」

結局、ラウイッツは逃亡先のインドからペルシャに向うイギリスの輸送船に便乗し、パレスチナで18か月滞在し、志願してイギリス空軍内のポーランド航空団に加わり、1944年3月にイギリスに到着したと述べている。イギリスでタイガー・モスの戦闘機乗りとしての訓練が修了した時に、戦争は終わったという。

訳者によると、本書は1956年の初版以来、25ヵ国語に翻訳され、今なお各国で出版され続けている。

素晴らしい本だと私は思っている。国際関係論や近代史に興味がある方のみならず、多くの方に勧められる本だと思う。

 

文庫本 (ヴィレッジブックス)  

 

 

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石川 雅一

石川 雅一

 東証ペンクラブ 会員。学校法人評議員。 元日本放送協会で国際報道に従事。アフガニスタン内戦、カシミール内戦、パンチャヤト大暴動( ネパール)、湾岸戦争、アメリカ航空宇宙局(NASA)、国連安全保障理事会、ニューヨーク市警、米国核廃棄物、ロスアラモス国立研究所、米国海軍、米加漁業紛争、京都の歴史文化伝統産業などを取材。国際機関アジア太平洋放送開発機構講師(JICA専門家)としてクアラルンプールでアジア各国の放送局のジャーナリストを育成指導。金融市場分析のテクニカルアナリストとして日本の全産業三千数百社の上場企業のテクニカル分析をダイヤモンド社で三季にわたって完遂。  早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程中途退学。早稲田大学大学院商学研究科専門職学位課程修士(研究科長賞受賞)。MBA( Le Cordon Bleu; Global Service Business, WBS)。Certified Financial Technician(CFTe Ⅱ)。 一級小型船舶操縦士、剣道初段、趣味は能楽。

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