"THE TALE OF GENJI" SHIKIBU MURASAKI, Translated by Suematsu Kencho
- 著者: Shikibu Murasaki(姓名順は本書表記の儘)
- 訳者: Suematsu Kencho(末松謙澄)
- 言語: 英語版
- 出版社: Skyros Publishing, Amazon Services International, Inc.
- 発行日: unknown
- 版型: Kindle版
- 価格(税込): Kindle版: 版により異なる
『源氏物語』英訳は明治時代に末松謙澄が世界初
平安時代に紫式部が書いた『源氏物語』は、「世界初の小説: "the World's Earliest Novel"」だと言われている。「物語」で古いものは、楔形文字で粘土板に刻まれたバビロニアの叙事詩『ギルガメシュ物語』のように紀元前1500~前1000年頃から存在したとされているが、文学作品の世界史のなかでも、「世界最古の長編小説」として位置付けられるのは『源氏物語』であるという評価は外国でもほぼ定まっている。
『源氏物語』を世界で初めて西洋世界に紹介したのは、1882年(明治15年)に"The Tale of Genji"として英訳した末松謙澄である。
末松謙澄は豊前国(現在の福岡県)で国学を学び、東京で佐々木高行侯爵のもとで書生をしたあとに政府の仕事をした。西南戦争のときに西郷隆盛への降伏勧告文書の草案をつくったのは末松だという。その後、駐英書記官となったあとでロンドンでケンブリッジ大学に入学した。末松は、ケンブリッジ大学時代に『源氏物語』を英訳した。
末松による英訳は、同じ明治時代の与謝野晶子が『源氏物語』の日本語現代語訳をした1912年(明治45年)よりも30年も先であったことにも留意する必要があるだろう。
紫式部の原文と末松謙澄の英訳の比較
以下、紫式部の原文と末松謙澄が訳した英文とを比較してみたい。
まずは、第一章 第一段の冒頭の一番有名な書き出し部分から。
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<紫式部>
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかず あはれなるものに思ほして、人のそしりをも え憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。
上達部、上人なども、あいなく目を側めつつ、「いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、悪しかりけれ」と、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。
父の大納言は亡くなりて、母 北の方なむいにしへの人のよしあるにて、親 うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方がたにもいたう劣らず、なにごとの儀式をももてなしたまひけれど、とたててはかばかしき後見しなければ、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり。
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<Suematsu Kencho>
CHAPTER I
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THE CHAMBER OF KIRI 1
IN THE REIGN OF A certain Emperor, whose name is unknown to us, there was, among the Niogo 2 and Kôyi 2 of the Imperial Court, one who, though she was not of high birth, enjoyed the full tide of Royal favor.
Hence her superiors, each one of whom had always been thinking—"I shall be the one,” gazed upon her disdainfully with malignant eyes, and her equals and inferiors were more indignant still.
Such being the state of affairs, the anxiety which she had to endure was great and constant, and this was probably the reason why her health was at last so much affected, that she was often compelled to absent herself from Court, and to retire to the residence of her mother.
Her father, who was a Dainagon, 3 was dead; but her mother, being a woman of good sense, gave her every possible guidance in the due performance of Court ceremony, so that in this respect she seemed but little different from those whose fathers and mothers were still alive to bring them before public notice, yet, nevertheless, her friendliness made her oftentimes feel very diffident from the want of any patron of influence.
FOOTNOTES
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11:1 The beautiful tree, called Kiri, has been named Paulownia Imperialis, by botanists.
11:2 Official titles held by Court ladies.
11:3 The name of a Court office.
(Reference: Shikibu Murasaki. "The Tale of Genji" . Skyros Publishing.)
楊貴妃の伝承を引いたくだりを省略しているのがわかる。楊貴妃の古事は日本人なら誰でも知っているが、これをさらに英国人に説明するとなると話の筋から大きく外れてしまうという当時の末松の判断があったのだろうと思われる。
FOOTNOTES(脚注)を添えてあるあたりは、やはりケンブリッジ大学にいる時に末松が書いたという、そういうアカデミックな影響がみられるように思われる。
『源氏物語』を世界で最初に英語翻訳したのが、英語を母語とする外国人ではなく日本人であったということは幸いであったように私(書評者)には思われる。なぜならば、単に日本語を英語化するだけでなく、『源氏物語』という長大な日本の古典を異文化言語にしっかりと正確に翻訳するには、古典の背景の深甚で特殊な固有文化を理解した者でなければ、少なくとも開国直後の当時で、かつ、世界最初の英訳版においては、到底無理だったろうと思われるからである。その点、もともと国学を学んでいた末松謙澄が『源氏物語』の世界初の英語翻訳を手掛けたことは、その後の世界における日本文学にとっては、まことに幸運なことであったと言うべきだろう。
この「末松版」"THE TALE OF GENJI"に触発されて、末松版出版の39年後から12年間かけて、より包括的翻訳で、かつ、英語翻訳版の最高傑作とも言われるウェイリー版が出てくることになる。
次回は、英語ネイティブスピーカー(母語話者)で初めて『源氏物語』を英訳した、アーサー・ウェイリーについて触れたい。