『親鸞 歎異抄・教行信証 Ⅰ』 石田瑞麿 訳
- 著者: 石田瑞麿 訳
- 出版社: 中央公論新社
- 発行日: 2003年2月10日
- 版型: 新書版
- 価格(税込): 絶版
親鸞の苦悩
本書は、浄土真宗の開祖 親鸞(しんらん: 1173~1262)の自身による著述である『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)と、弟子の唯円が記したとされる、親鸞の言葉の聞書(ききがき・もんしょ)である『歎異抄』(たんにしょう)という、ふたつの古典の現代語訳である。
親鸞は9歳で出家し、比叡山横川(ひえいざん・よかわ)で20年間の修行を積むが、悟りを得られないまま山をおりた。29歳の時に京都六角堂に参籠(さんろう)した後に法然の門に入った、と本書の説明にはある。
浄土真宗親鸞会のサイト「真宗講座」によると、これより先、建久2年9月12日、親鸞聖人19歳の時にも、比叡での求道(ぐどう)に行きづまった際に、かねて崇敬していた聖徳太子の御廟へ参籠して3日間こもったこともあるらしい。また、この時の御廟は、大阪府石川郡東条磯長(現・太子町)なのでこれを「磯長(しなが)の夢告」というのだとしている。この参籠で2日目の夜に夢に現れたのは聖徳太子で、「我が三尊は塵沙の界を化す。(弥陀、観音、勢至の三尊は、チリのようなこの悪世の人々を救わんと尽力されている。)」と告げられたのだという。
同じく真宗親鸞会によると、比叡山をおりて、京都のど真ん中の六角堂には100日間、籠ったのだという。そしてその時に夢に現れたのは救世観音で、「行者がこれまでの因縁によってたとい女犯があっても私(観音)が玉女の身となって、肉体の交わりを受けよう」と告げられたのだという。それゆえ、このお告げは、「女犯(にょぼん)の夢告」といわれているのだという。その後、四条大橋の上で比叡山の旧友、聖覚法印から声をかけられ、聖覚法印に導かれていったのが、四条大橋からほど近い東山 吉水(よしみず)の法然上人(ほうねんしょうにん)のもとだったという。
寺に生まれ東大印度哲学科卒の訳者
本書で現代語訳している石田瑞麿(いしだ みずまろ: 1917)は、浄土真宗本願寺派寺院の子として生まれ、東京帝国大学の印度哲学梵文学科を卒業して東大講師や東海大学教授をした研究者である。寺の子として生まれながらも、父親の勧めで僧侶にはならず、在家信者のまま通したという。
石田の現代語訳は、とても分かりやすい。
唯円が親鸞との会話や親鸞の言葉を記した、聞書『歎異抄』では、ふたりの絶妙なやり取りが記録されている。たとえば、それは次のようなやり取りだ。
唯円: 「念仏を称えておりますが、踊りあがるほど、歓喜の心は豊かにはわきあがってまいりません。また はやく浄土におもむきたいと思う心にもなっておりませんが、これはどういうわけのものでありましょうか」
親鸞: 「親鸞もこれと同じ疑問をいだいていたけれども、唯円房、あなたも同じ気持ちであったとみえる。 よくよく考えてみると、仏に救われるということは、天に踊り地に踊るほどに喜ばなければならないことなのに、それを喜ばないのであるから、いよいよかならず浄土に生まれることができる、と考えなければならない」
このように唯円による聞書も、軽妙なやり取りもあって面白いが、特に、親鸞直筆の書である『教行信証』は、さらにまた、きわめて興味深く感じられた。私(書評者)が特に素晴らしいと感じられたのは、親鸞が書いた阿弥陀仏を称える美しい詩のしらべ(音律)である。それは、つぎのようなものだ。
量りなき 智慧のみ光
身は高く 須弥山(しゅみせん)のごと
われいまぞ すべてをあげて
手をあわせ おろがみまつる
・・・・・・
量りなき 力と功徳
念ずれば そのひとはよく
時またず 必定(ひつじょう)に入る
さればわれ つねに念ぜん
・・・・・・
み仏の 身をば願いて
心にし 弥陀を念ぜば
うつし身を あらわしたもう
さればかの 本願力に
祈りに満ちた、本当に美しい旋律だと思う。
「日本思想史の最も戦慄すべき瞬間」
本書には、宗教学者で、国立歴史民俗博物館名誉教授の山折哲雄が序文を寄せている。
山折は、親鸞の『教行信証』を「長いあいだ毛嫌いしていた」と前置きしながらも、『教行信証』を読んで予想もしなかったことが書いてあったので驚愕したと述べている。
山折が『教行信証』の中で驚愕させられたというのは、『大無量寿経』の中にある「父殺しの罪を犯したアジャセは無条件に救われるのではない」という除外規定に対する親鸞の疑問と葛藤だった。
すなわち、阿弥陀如来の救済力は有限なのか無限なのか、人間の根源悪は、阿弥陀如来への信によって果たして乗り越えられるのか否か、という疑問だった。山折は次のように言う。
「かれ(親鸞)がこの問いの前に立ち止まったとき、おそらく日本の思想史は 最も深刻で、最も戦慄すべき瞬間に立ち会っていたはずだ。わが国の歴史においては、あとにもさきにもない経験だったと思う」・・・
そして、この問いに対する親鸞の解答は、『教行信証』の最後に登場する、父殺しが救われるためには「善知識」と「懺悔」の二条件が決定的に重要である!ということだった。
唯円による親鸞の教えの記録である『歎異抄』と、親鸞の直筆著作である『教行信証』のふたつの書を現代語訳した本書は、実に魅力的な書籍である。
本書『親鸞 歎異抄・教行信証 Ⅰ』は現在(2020年4月)絶版になっており、中古本が6千円から数万円という かなりの高値で取引されている。Kindle版による再版を望みたい。