京都 仏教

法然上人の選択と集中

2020年4月25日

選択本願念仏集 法然の教え』 法然 著,  阿満利麿 訳・解説

  • 著者: 阿満利麿 訳/解説
  • 言語: 現代語版
  • 出版社: KADOKAWA
  • 発行日: 2013年12月15日
  • 版型: Kindle版, 文庫版
  • 価格(税込): Kindle版:¥578-,  文庫版: ¥734-

 

法然の出自は武家の嫡男

法然は、平安時代末期の争乱の時代に美作(みまさか)国(現在の岡山県)の武家の嫡男(ちゃくなん)として生まれた。名は勢至丸(せいしまる、又は、せしまる)。

1141年(保延7年)、勢至丸が9歳の時に家は突如として夜襲を受けた。奇襲だったために一族は惨敗して、父は殺された。この時、勢至丸は弓矢を取って応戦したとされる。

この勢至丸の弓矢の逸話の真偽性について、梅原猛氏は「私は不可能だと思います」(『法然・親鸞・一遍』 PHP研究所)と述べている。

しかしながら、父を殺した犯人の目を実際に射貫いたのか否かはともかく、弓矢を取っての勢至丸の応戦は十分あり得た話であり、少なくとも私は、このアネクドート(anecdote: 逸話)は偽りなき事実だと思う。むしろ、こうした応戦がなければ、嫡男の勢至丸が夜襲の現場から落ち延びること自体が逆に不可能であったであろうと、実際の戦場取材経験がある私は現実的に想像する。確かに9歳の子供が大人用の強弓(ごうきゅう)を引くのは確かに不可能だったろうが、文武両道でエリート教育を受けていた平安後期の武家嫡男が元服(げんぷく)を僅か数年後に控えて、子供用の弓を持たされていなかった筈がないのだ。また、子供用の弓は天井につかえることもなくて屋内で射出するにはむしろ好都合で、子供用の弓とは言え至近距離ならば殺傷力も高いだろう。

こうして落ち延びた勢至丸は、叔父(母の弟)が僧になっていた寺へと入れられる。こうした出家が、当時においては、敗者の嫡男が敵方の追跡から逃れて生き延びうる唯一の手段だったのであろう。出家をすれば現世の権勢を遁れたことと理解されるから、そもそも嫡男であるとて追う理由はなくなるし、たとえ、それでも目障りな存在であったとしても、当時の寺の境内は一種の治外法権であったので、少なくとも出家をかたればその人間を境内から引きずり出して討ち果たすようなことは、当時はきわめて大きなリスクを覚悟しない限りは出来なかったに相違ない。

 

英気の少年 勢至丸

法然の叔父に当たる観覚得業(かんがくとくごう)は比叡山延暦寺の出身だった。彼は預けられた甥の勢至丸と接して、一を聞いて十を悟るようなこの少年の賢さに舌を巻き、いずれ彼を比叡山に送ることを決心する。

やがて勢至丸は十三歳で全国の俊才たちが集まる比叡山へと送られ、十五歳の時に御山で受戒する。

『大菩薩峠』で有名な中里介山は自らが(「大衆小説」でなく)「大乗小説」と呼んだ『法然行伝』で次のように記している。

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「比叡の西塔北谷、持宝房源光が許(もと)へ勢至丸を遣わされた。その時叔父の観覚の手紙には、

進上、大聖文殊像一体

と、 文殊は智恵である。この子が智恵の優れた子であるということを示す為であった。」

(『中里介山全集第十五巻』筑摩書房, 1971 )

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比叡山は、法華経のみならず膨大な経典文献資料が山のようにある当時の最高学府だった。つまり、平安期における比叡山は一種の総合大学のような存在であり、英国のケンブリッジやオックスフォードが神学研究から始まったように、知識階級のエリート子息が送られる漢学と仏教学の総合学問所という位置づけも有していたのだ。法然は御山に蔵されていた経典を片端からむさぼるように読み漁った。

 

法然上人の選択と集中

後々、法然が1198年に著述した『選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)』(浄土宗系では「せんちゃく」と読み、真宗系では「せんじゃく」と濁る。)には、数多(あまた)の先行文献たる経典が縦横無尽に引用された。

「『般舟三昧経(はんじゅさんまいきょう)』の中に、また一(ひとつ)の選択(せんちゃく)有り。いわゆる選択我名(がみょう)なり。弥陀自ら説いて言(のたま)わく、我が国に来生(らいしょう)せんと欲する者は、常に我が名を念じて休息(くそく)せしむること莫(なか)れと。」

(出典は本書: 『選択本願念仏集』阿満利麿訳, 角川学芸出版)

「選択本願」という言葉における「選択(せんちゃく)」とは、人間が選んだわけではない。あくまでも阿弥陀仏が主体として選び取ったのである。

しかしながら、当時の総合大学であった比叡山の膨大な経典のなかから、浄土三部経(『仏説無量寿経』、『仏説観無量寿経』、『仏説阿弥陀経』の3つの経典)を選択(せんたく)して、そこに集中したのは法然自身である。したがって、私(書評者)は、このことを、勝手に、「法然上人の選択と集中」と呼んでいる。

経営学の研究者である私には、「選択と集中」という言葉は馴染み深い。「選択と集中」という概念は、ゼネラル・エレクトリック社CEOのジャック・ウェルチが言った言葉で、世界市場でナンバーワンかナンバーツーでいられる得意分野の事業能力(core competence)だけを選択してそれだけを残してヒト・モノ・カネと情報をそこに集中するという戦略のことである。

だから、私には、日本宗教史における「法然上人の選択と集中」という戦略は、なおさらのこと、実に興味深くも、馴染み深くも感じられるのである。

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石川 雅一

石川 雅一

 東証ペンクラブ 会員。学校法人評議員。 元日本放送協会で国際報道に従事。アフガニスタン内戦、カシミール内戦、パンチャヤト大暴動( ネパール)、湾岸戦争、アメリカ航空宇宙局(NASA)、国連安全保障理事会、ニューヨーク市警、米国核廃棄物、ロスアラモス国立研究所、米国海軍、米加漁業紛争、京都の歴史文化伝統産業などを取材。国際機関アジア太平洋放送開発機構講師(JICA専門家)としてクアラルンプールでアジア各国の放送局のジャーナリストを育成指導。金融市場分析のテクニカルアナリストとして日本の全産業三千数百社の上場企業のテクニカル分析をダイヤモンド社で三季にわたって完遂。  早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程中途退学。早稲田大学大学院商学研究科専門職学位課程修士(研究科長賞受賞)。MBA( Le Cordon Bleu; Global Service Business, WBS)。Certified Financial Technician(CFTe Ⅱ)。 一級小型船舶操縦士、剣道初段、趣味は能楽。

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