『日蓮 「立正安国論」全訳注』 佐藤弘夫 訳/解説
- 著者: 佐藤弘夫 訳/解説
- 言語: 現代語版
- 出版社: 講談社
- 発行日: 2011年6月1日
- 版型: Kindle版, 文庫版
- 価格(税込): Kindle版:¥539-, 新書版:¥924-
外国軍侵略予言と他宗批判の書
蒙古が日本に侵攻した1274年の元寇が勃発するその15年前、日蓮は『立正安国論』に外国軍の日本侵略を予言して、次のように書いた。
「異国の賊が来襲してその国を侵略し、内乱が起こって土地を略奪されるような事態になれば、驚かずにいられようか。あわてずにいられようか。国が失われ家が滅んでしまえば、いったいどこに逃げるという のか。あなたが自身の安全を確保したいと願うのであれば、 まず国土全体の静謐を祈ることが不可欠なのだ」
日蓮が執筆して1260年に鎌倉幕府の前執権 北条時頼に提出した『立正安国論』(りっしょうあんこくろん)は、きわめて先見的にして、かつ、コントロバーシャルな書である。
一方では、外国軍の日本への侵攻があると本書中で予言したため、「蒙古襲来予言の書」として大絶賛されている。
また一方では、法然上人(ほうねんしょうにん)と専修(せんじゅ)念仏、ならびに法然の著『選択本願念仏集』(せんちゃく ほんがん ねんぶつしゅう)を徹底して批判したため、浄土宗信徒らから多くの恨みを買った。
やがて日蓮は、他宗批判から怨嗟の的となり、次のような少なくとも四回にわたる迫害を受ける。日蓮宗で「四大法難」と呼ぶそれらは次の通りである。
- 伊豆法難 ・・・ 伊豆流罪になり、伊豆沖の岩礁に置き去りにされた。漁師に助けられる。
- 小松原法難 ・・・ 小松原(現在の千葉県鴨川)で襲撃を受け弟子が殺され日蓮も重傷を負う。
- 松葉ヶ谷法難 ・・・ 鎌倉の松葉ヶ谷(まつばがやつ)で草庵が焼き討ちに遭う。
- 龍ノ口法難 ・・・ 『立正安国論』で鎌倉幕府に意見した日蓮は龍ノ口(たつのくち)刑場で斬首されかかるが、「光の玉」で処刑人の刀が折れたため斬首中止。(落雷か?)
以上のような様々な迫害を日蓮は受けた。
日蓮について抱いていた様々な問い
本書で『立正安国論』を現代語訳し解説した佐藤弘夫は、元 東北大学大学院文学研究科教授で、わかりやすく深い解説が縦横無尽に展開される。
本書を読む前に、私(書評者)は次のような様々な疑問を抱いていた。
- 比叡山出身の日蓮は、なぜ同じ比叡山出身の法然を批判したのか、その理由
- 日蓮は、法然の著書『選択本願念仏集』のどこがどういうふうに間違っているとして批判したのか
- 専修念仏(せんじゅ ねんぶつ)が「邪法」であるという日蓮の主張の根拠はどこに求められたか
- 「邪法」を廃さなければ、国難が起きるとした理論の根拠はどこから来ていたのか
- 『立正安国論』は、北条時頼(鎌倉幕府の最高実力者)に提出されたが、日蓮はどのようにしてそのツテ(伝手)を得ることができたのか
- 鎌倉幕府に提出された『立正安国論』が幕府の怒りを買ったのはなぜなのか
- 『立正安国論』は幕府への要望書だったのか、それとも政治批判の書だったのか
- 『立正安国論』は専修念仏批判だけで、禅宗批判は見当たらないが、それなのになぜ日蓮は禅宗も批判したと世間では言われているのか
- 『立正安国論』でいう守護すべき仏法は『法華経』だけだったのか
- 日蓮の歴史認識はどのようなものだったのか
- 『立正安国論』は、念仏をとるか、もしくは法華経をとるか、という二者択一の論争であったのか、それとも?
以上のような私が抱いていた疑問は、本書を読むことで次々と氷解していった。
短い本稿でそれをすべて述べる紙幅はないし、ネタバレを避けてみなさんに読書を楽しんでいただきたいのであえてここでは答えは述べない。
本稿の冒頭で、私は「きわめてコントロバーシャルな書である」と言ったが、実際、日本の宗教史において、これほど喧喧囂囂(けんけんごうごう)な書はなかったと思う。
『立正安国論』は、次の言葉から始まる。
「旅客来りて嘆いていわく、近年より近日に至るまで、天変地変・飢饉・疫病があまねく天下に満ち広く地上にはびこる。牛馬ちまたにたおれ骸骨路に充てり。死を招くのともがら既に大半を超え、これを悲しまざるのやから敢えてひとりもなし」
こうして客(旅客)と主人の対話が始まり、ディベートに発展していく筋となっている。よって、本書をディベートの展開としてみるとまた面白いが、冒頭の書き出しの当時の世間の状況が、疫病が蔓延した状況など、あまりに現在の新型コロナウイルスが蔓延した状況とそっくりなことに驚かされる。
日本は当時と同じ国難のさなかにある。『立正安国論』を今読む理由はそこにもあると思える。
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