『成功の実現』 中村天風 述
- 著者: 中村天風 述
- 出版社: 日本経営合理化協会出版局
- 発行日: 1988年9月9日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 単行本: ¥10,780-
飄々とした語り口で堂々とした天風哲学
本書は、哲人として辻説法を通じて明治以降多くの人々を魅了し続けてきた中村天風(なかむら てんぷう, 1876年~1968年)の講演録である。
天風門下の主な人々には、帝国連合艦隊の東郷平八郎元帥、原敬首相、尾崎行雄元法相、馬術金メダリストの西 武一、日立製作所元社長の倉田主税、山本五十六元帥、山本英輔海軍大将、重宗雄三元参議院議長、左藤義詮元大阪府知事など、各界の多くの名士が名を揃えていた。
「飄々とした語り口」と私が言ったのは、本書は天風の講演記録を文字に起こした本だからである。もともと本にしようとして執筆したものではない。通常は講演録というのは、執筆した本よりも低く見られがちだが、天風は辻説法家として名をはせた方なので、この場合は、講演録のほうが、本人の説法の息遣いや発声のトーンや抑揚までが目の前で感じ取れる気がしてよいのである。
ただ、本書を買う時はちょっと奮発が要った。なぜならば、1万円以上もする高価な本だからである。装丁はさすがに立派で、外箱付きでクロス張りの上品な「布装丁」となっている。上の写真で見ていただきたいが、外箱の表面には絵が描いてあるが、よく見ると絵ではなくて文字である。お読みになれるだろうか? ・・・
まず、禅師がよく書く図形の円を一筆でかいたものがあって、これは、「円相」といわれるもので、悟りや宇宙を意味する。その円の中に、色違いで三つの文字が重ねてある。最初に朱で「美」、その上に緑で「善」、一番上に白で「眞」が書いてある。つまり、「眞善美(真・善・美)」を重ねて書いているのである。円に向って左脇に天風の二文字、そのすぐ下に花押(かおう)が書かれている。
中村天風とは
本書の巻末には「中村天風師 略年譜」がある。天風の生まれから青年期までをかいつまんでみると、以下の如くである。
- 1878年(明治9年) 東京都豊島郡王子村(東京都北区王子)で、父祐興(すけおき)、母テウの三男として生まれる。本名は中村三郎。
- 父は九州の柳川藩主一門の出。大蔵省抄紙部長。
- 王子の大蔵省紙幣寮に印刷技師として来日していた英国人夫妻にかわいがられ、英会話を身につけることができた。
- 1889年 東京本郷の小学校を卒業。九州福岡の修猷館(しゅうゆうかん)に入学。
- 1892年 16歳で修猷館を退学。親族で農商務省次官をしていた前田正名男爵の紹介で、頭山満(とうやまみつる)の玄洋社に預けられる。その気性の激しさから「玄洋社の豹(ヒョウ)」とあだ名された。
- 同年 軍事探偵の河野金吉陸軍中佐のカバン持ちとして日清開戦前の満州、遼東半島方面の偵察調査に従事。
- 1902年 26歳で参謀本部諜報部員として採用され、満州に潜入。
天風は、軍事探偵、つまり諜報員(スパイ)となって、偵察と後方かく乱活動に従事するが、正式に参謀本部諜報部員に採用されてから3年後に日本に帰還することができた。諜報部員113名のうち、無事に生還できたものはたったの9名にすぎなかったという。中国のあとに、米国や欧州、エジプト、インド、ネパールを彷徨する。
天風が受けた試練
中村天風は16歳で修猷館を退学処分になっているが、この退学の理由は、柔道の試合で惨敗させた相手校から怨恨の闇討ちに遭い、出刃包丁で襲撃してきた相手を正当防衛ながら殺してしまったことが原因という。この事も含めて、中村天風は、以下のような多くの試練に直面した。
- 16歳の時に闇討ちしてきた熊本の学校の生徒を殺してしまった。正当防衛は認められるも退学。(第六章に記述あり)
- 日露戦争当時、軍事探偵として潜伏中にコサック騎兵から捕縛され、スパイとして死刑宣告を受ける。
- 銃殺刑の寸前で、日本軍の仲間が投じた手りゅう弾攻撃により、九死に一生を得る。
- 万里の長城で狙撃を受け、飛び降りて逃げるも重傷を負う。
- 重症の後遺症で強度のめまいと、視力障害を負う。
- 帰国後に肺結核で死にかける。
- エジプトのカイロでヨガ聖人カリアッパ師と出会い、同師についてヒマラヤのカンチェンジュンガに入り、二年数か月にわたり修行する。
力と勇気と信念
398ページにわたる本書は、「力」と「勇気」と「信念」の3つの篇にわかれた3部構成となっており、10章から成っている。それは、次の如くである。
「力」の篇
第一章 人生礼賛
第二章 真の積極(せきぎょく)
第三章 悟入転生──天風自伝
「勇気」の篇
第四章 恬淡明朗(てんたんめいろう)
第五章 より強く、逞(たくま)しく
第六章 もはや何ものも恐れず
「信念」の篇
第七章 新天地を拓(きりひら)く
第八章 幸福の醍醐味
第九章 大いなる我が生命の力
第十章 成功の実現
恐怖心について
それぞれの章で味わい深い天風先生の言葉が聴ける思いの言葉が並んでいるが、コロナウイルスが世界で猖獗をきわめる昨今、私は「第六章 もはや何ものも恐れず」を読み返してみた。
天風は恐怖心について、次のようなことを述べている。
- 消極観念のなかで人間の世界を一番困らす心理現象は「恐怖」である。
- 恐怖の世界に生きることほど、値打のないときはない。
- 恐ろしいなあと思っている人生の時間は、尊い時間とは言えない。
- 神や仏はただひたむきに崇め尊ぶべきものであって、神や仏に求めたり願ったりしてはいけない。
- 神や仏は宇宙心理の代名詞である。
- 宇宙本源のそのものの在り方は「真・善・美」である。
- 人間の本心も真善美だったはずだが、苦しみ・迷い・妬み・憎しみ・悲しみ・恐れで濁ってしまっている。
- 人間は自分を肉体としてみている。自分を離れて第三者の立場で自分を肉に宿った霊魂としてみるべきである。
上記のように私がかいつまんで並べると、あまり面白くはみえないが、こういうことが、自分の諸体験を交えてビビッドに語られている。
たとえば、福岡の修猷館で外を通りがかった二十四連隊の軍隊に誰かが石を投げて、学校が連隊に包囲された時に、誰が投げたかわからないものの自分が投げたと言って名乗り出て連隊長と直談判して営倉(懲罰房)にぶち込まれてしまった話や、政治結社 玄洋社の頭山満から炭鉱争議に交渉人として現場に派遣されたときの話など、驚きに満ちた痛快無比な体験談が語られている。この本を読んでいる時に、天風先生は、目の前で話しているように感じるのである。
単行本
『成功の実現』は書価が1万円もする高価な本だが、二十年以上も前に買って時々開いて見ては天風師の教えから刺激を受けているので、少なくとも私にとってのコストパフォーマンスとしては悪くない本だと思える。しかし、おそらく本書は、他書で天風先生に深い感銘を受けてから買う本だろう。
最初に買う中村天風の本としては、安価なお勧めの本があるので、次回はそれを紹介したい。