『キーツ詩集』 ジョン・キーツ著, 出口保夫 訳
- 著者: ジョン・キーツ著, 出口保夫 訳
- 出版社: 白鳳社
- 言語: 日本語
- 発行日: 1975年7月25日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 絶版
薄幸の家庭に生まれ医師になったキーツ
ジョン・キーツ(1795年~1821年)は、9歳の時に父を落馬事故で亡くした。15歳の時には母を結核で亡くし、外科医のもとに奉公に出された。二十歳前後でロンドンの病院の助手兼医学生となり、やがて医師の資格を取るが、この頃から詩作に益々熱中するようになったという。
医学生として病院の現場で厳しい研修をして医師になったキーツには、「医師」という言葉を使った詩が見られる。それは「ファニーに寄せるうた(Ode to Fanny)」と題された詩である。「ファニー」とは、婚約を交わした相手の女性ファニー・ブローン(Fanny Brawne)のことだろう。
「ファニーに寄せるうた」の一部を以下に引く。
自然という医師よ!わたしの魂から 血を抜いておくれ!
ああ わたしの心から詩を取り出し 安らかにしておくれ。
おまえの青銅の祭壇に わたしを投げ出しておくれ、息づまるほどの
詩情の潮(うしお)が わたしの満ちあふれる胸から 引いてゆくまで。
主題を! 主題を! 大いなる自然よ! 主題をおくれ。
わたしに 夢を見させておくれ。
わたしは来て── わたしはおもえを見る、おまえがそこに立つのを、
冷たい冬空のなかに わたしを連れ出しておくれ。
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キーツの希求
自然を医師に見立てながら、苦しい胸の内をオペしてほしいと訴える青年キーツの訴えは切実である。
「血を抜いておくれ!」というのは、私(書評者)が想像するに、古代ギリシャの時代からあって、欧州で中世以降に盛んに行われた、瀉血法(しゃけつほう: Bloodletting)のことだろうと思われる。瀉血法は、人体の血液を外部に排出させることで症状の改善を図る当時の医学的な手術で、近代にいたるまでは実際に病院で行われていたのである。18世紀末から19世紀初頭を生きて医師の徒弟から始めたキーツは、おそらく、この瀉血法にも携わっていただろうと私は想像する。
「血を抜いておくれ!」「わたしの心から詩を取り出し 安らかにしておくれ」と訴えるキーツは、幼少のときに両親を亡くし不遇な環境で育ってきたトラウマと多感な性格から、やむにやまれぬ懊悩を抱えていたことがここからもみてとれる。
しかしながら、「わたしの心から詩を取り出し 安らかにしておくれ」と言う一方で、「主題を! 主題を! 大いなる自然よ! 主題をおくれ。」と希うキーツは、自分が詩人であることをやめることができないということを如実に知っている。
この詩「ファニーに寄せるうた(Ode to Fanny)」は、7つの詩節から成る詩で、最初の詩節を上に引いた。この詩の最後の詩節は次のように詩を締めている。
ああ! もしもおまえが 哀れな、色褪せた、
短い一時間の誇りよりも わたしの抑圧された魂を讃えてくれたなら、
誰にも この神聖な恋の座を 穢(けが)させはしない、
荒々しい手で 秘蹟のパンを
裂かせるようなこともさせない。
誰にも その新しく芽吹いたばかりの花に 手を触れさせはしない。
もし そうでなければ── わたしの目を閉ざしておくれ、
恋人よ! その最後の安らぎへ向けて。
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夭折の詩人キーツ
「わたしの抑圧された魂」、この表現からも、キーツの懊悩が並外れたものであったことが想像される。
幼少時に父を落馬で亡くし、その六年後に母を結核で亡くし、医師の内弟子見習いとして奉公し、病院に勤めた現場では、病気に悩む多くの人や死に臨む人々もキーツは日々現場で見たことだろう。仏教の言葉を引いて云うことが許されるならば、「生老病死」を幼少時からの実体験として感じ続けたに違いない。そこから来る懊悩を多感な性格のキーツは、詠歌と、そして、変わらぬ大自然の中に安らぎを求めた。しかし、自然のなかにあっても、その懊悩から離れ切れていない自分を感じて、新たな哀しみを得たのかもしれない。
上に引いた「ファニーに寄せるうた(Ode to Fanny)」における最後の詩節の中にある「秘蹟のパン」の「秘蹟」とは、ご存知のように、パンとワインをキリストの体と血として信徒が舌の上に受けるカトリック信仰の「聖体の秘蹟」、すなわち「聖餐(せいさん)」のことである。この場合の「秘蹟のパン」とは、キーツのファニーに寄せる愛のことであろう。この愛が真にファニーに受け入れられるかはこの時点ではわかっていない、少なくともキーツはそう理解しているか、儀礼的にそう言っていると私には思える。そして、ファニーが認めるならば、その「秘蹟のパン」を誰にも邪魔させずに、自らの舌の上に受け止めるという決意表明だと私には感じられた。
「もし そうでなければ── わたしの目を閉ざしておくれ」 という最後の言葉は衝撃的である。なぜならば、私たち読者は、キーツが26歳で夭折(ようせつ)したことをよく知っているからである。
キーツの墓は、イタリアのローマでカトリック教会のカトリック教徒以外の人々のための墓地に在る。キーツは母と同じく結核になり、温暖な気候での療養のためにイタリアへと向かい、その地で倒れたのだった。