『覚悟の力』 宮本祖豊 著
- 著者: 宮本祖豊(みやもと そほう) 著
- 出版社: 致知出版社
- 発行日: 1993年10月10日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 単行本: ¥1,650
「覚悟」は元々は仏教用語
本書のタイトルは『覚悟の力』であるが、『大辞林』によれば、「覚悟」とはそもそも仏教用語であって、「悟りを開くこと」という意味がある。
今から1214年前に伝教大師最澄によって開かれた仏教の山「比叡山」では、次のような様々な仏教修行の形がある。
- 千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)
- 十二年籠山行(じゅうにねんろうざんぎょう)
- 四種三昧(ししゅざんまい)
「千日回峰行」は、文字通り、比叡山の険しい峰々を縫うように歩き、礼拝巡礼する修行である。
比叡の険しい峯(写真 © 石川雅一)
「十二年籠山行」は、伝教大師の御廟(ごびょう)である浄土院で、「生身」の大師に仕えて奉仕する「侍真(じしん)」の職を務める。動的な「千日回峰行」に比べて、静的な、でもやはり厳しい行である。
「四種三昧」は、暗く静寂な道内で2度の食事と用便以外はもっぱら坐り続ける常坐三昧や、堂内で念仏を唱えながら本尊の阿弥陀佛の周囲を回り続ける常行三昧(じょうぎょうざんまい)などがある。常行三昧では、疲れたら堂内の柱間にしつらえた横木を頼りに歩いたり、天井から吊り下げられた麻紐につかまって歩を休めることは許されるが、坐ったり臥したりすることは許されず、臥して寝ることも許されない。
本書『覚悟の力』の著者が行った修行は、西塔(さいとう)にある浄土院での「十二年籠山行」であった。
西塔の浄土院(写真 © 石川雅一)
過酷な「好相行」
著者の宮本氏は22歳で比叡山をのぼり得度受戒して僧侶となった。最澄が書いた『山家学生式』(さんげがくしょうしき)には、比叡山の僧侶は12年間山上に籠って厳しい修行をつまなければならないと書かれている。しかし、在家から僧侶になった宮本氏はいきなり「十二年籠山行」に入れたわけではなく、その前に前段の修行が必要だった。その前段の修行で最も過酷だったのは「好相行」(こうそうぎょう)だったという。「好相行」は、浄土院のお堂の一角に設けられた場所に籠り、「三千仏名経」(さんぜんぶつみょうきょう)というお経に書かれている三千の仏様のお名前を一仏一仏ずつ唱えながら1日に3千回の「五体投地」(五体すなわち両手・両膝・額を地面に投げ伏して仏を礼拝すること)の礼拝を延々と繰り返す。2回の食事と用便と朝の沐浴を除くと、ほとんど20時間ほど薄暗いお堂の中で礼拝を続けたという。横になって寝ることは許されない。どうしても眠たくなった時には縄床という縄で張ってある椅子がお堂の後ろに置いてあってこの椅子に座って仮眠をとることだけは許されているが、絶対に横になって休んではいけない規則があるという。この修行を続けていると、煩悩が消え去って心が真っ白になるという。そしてやがて目の前に光り輝く仏様が立ち現れるとされている。実際に目の前に仏様が見えた時点で好相行は終わることになっているが、いつ仏様が眼前に立つかはわからない。
横になって寝ることも許されない過酷な修行の中で、宮本氏は夏場は脱水症状に苦しみ、冬場は寒さで手足の指先が割れて血が出てきたという。睡眠不足から幻覚や幻聴が現れ、薄暗い中で五体投地を続けているために平衡感覚を失って床が傾いて見えたという。宮本氏の場合、この行を終える(満行)までに3年余りかかり、その間にはドクターストップが出て行の中断を挟むこととなった。
ついに眼前に立った仏様
1回目の行が9か月間続いたところでドクターストップがかかり、一旦の中断を経たものの、また再び行に入ることが許された。しかし、それから半年経っても仏さまは一向に眼前に立つ気配はない。再び冬になり、両手両足の指先、足の踵、土踏まずがすべて割れて血が滲み化膿しだした。あまりの痛さで針山の上に立っているような感じがしたと宮本氏は記している。
師僧が時々会いに来てくれたが、「蝋人形のような姿だな」と言われたという。顔の表情もなくて瞳孔もほとんど開いた状態だったという。幻覚や幻聴や幻臭にも悩まされていた。宮本氏の背中に焼き印を押そうとお堂の周りを走り回る男、真っ赤に焼けた鉄の臭い。またある時には数百人の子供たちが一緒に礼拝をしていたり、別の時には、大勢の武士たちが背後から刀で斬りかかってきた。斧が飛んできて自分の首が刎ねられて床に自分の首が落ちる幻覚も見たという。この二度目の行も9か月を経たところで医師がお堂まで来て血液検査をした。9日間の中断を経て、今度は行を続けてよいという医師の許可が出た。そしてその1か月後に、ようやく眼前に仏様が立ったのだという。目の前に仏様が立った瞬間がどのようなものであったかは、ネタバレになるのを畏れてここでは記さない。本書で読んでいただきたい。
侍真の職
こうした好相行の満行を経て、延暦寺の戒壇院で戒律を受ける。そして、ようやく侍真職を拝命して十二年籠山行に入ることを許されるのである。
戒壇院(写真 © 石川雅一)
侍真職の仕事は毎日暗い3時半に起床してお勤めをし、朝5時にお大師様に朝のお食事(質素な精進料理)を差し上げ、阿弥陀佛の供養をし、そのあとは法華経、仁王経(にんのうきょう)、金光明経(こんこうみょうきょう)、大般若経という6百巻に及ぶ長いお経を毎日1巻ずつ読んで国家安泰の祈祷をし、朝10時になるとお大師様に昼のお食事を差し上げる。侍真職の食事は、お大師様に差し上げたお食事のおさがりをいただくのだという。平安時代さながらの1日2食で、昼のお食事のおさがりをいただくと、翌日の早朝まで18時間あまりは何も食べられないのだという。
本書は、世俗の世界に生きる私たちからは想像もできないような過酷な修行を毎日行っている比叡山の僧侶の日々をつづった体験記である。読むと身が引き締まるような気がし、往々にして物質的な欲望や些細なことで不満を抱きがちな私たちが、実際には如何に贅沢で放縦極まりない生活をしているかということを思い知らされる。多くの人々に読むことを薦めたい本である。