『ミルトン・フリードマンの日本経済論』 柿埜真吾 著
- 著者: 柿埜真吾 著
- 出版社: PHP研究所
- 発行日: 2019年11月7日
- 版型: キンドル版・新書
- 価格(税込): Kindle版:¥765、 新書:¥946
マネタリズムの巨人ミルトン・フリードマン
ミルトン・フリードマン(Milton Friedman 1912-2006)は、20世紀を代表する経済学者である。自由市場経済の重要性を説き、英国のサッチャー政権や米国のレーガン政権の経済改革に大きな影響を与えた。世界ではフリードマンの死後十数年を経ていまだに人気が高く、20世紀の好きな経済学者を問う投票で、J・M・ケインズに次ぐ第2位の人気を集めている。
一方で日本では、不思議なことに概してフリードマンへの関心は乏しく、2012年の『選択の自由』の再版等のわずかな例外を除くとフリードマンを再評価する目立った動きはほとんどないという。日本ではしばしばフリードマンの思想を嫌うあまりにその業績を認めない風潮さえあると柿埜は言う。フリードマンに市場原理主義者、弱者切り捨てといったレッテルを張ったセンセーショナルな書籍は巷に溢れているが、 田中秀臣[2006, 2008]が指摘するように、その多くは事実誤認が少なくなく信頼できないものばかりだと柿埜は言う。
1966年にニクソン大統領の経済アドバイザーに加わったフリードマンは、志願兵制検討委員会のメンバーになり、徴兵制の非効率性について主張した。「若者の職業選択の自由を奪い、適性の無い学生を無理矢理採用する徴兵制は非効率きわまりない」と委員たちを説得したのだという。これもまさに、「選択の自由」というフリードマン哲学に基づく主張だったのだろう。
しかしニクソンはフリードマンの経済政策への助言を無視して固定相場制放棄に踏み切れず、二年後に必要性に迫られて変動相場制を採用したものの、遅きに失してフリードマンの警告通りに深刻なスタグフレーションをもたらしてしまった。
1976年、フリードマンはノーベル経済学賞を受賞した。1980年から米国PBSで『選択の自由』と題したテレビシリーズが放映されて大反響を呼び、同名の著書(妻との共著)『選択の自由』も大ベストセラーとなった。
東側陣営から極悪人呼ばわりされたフリードマン
1980年にカーターを破って大統領になったレーガンはフリードマンの経済理論の影響を受けて物価統制を撤廃し、大胆な規制改革と小さな政府という政策を推進した。この頃、東側共産圏の反体制派活動家の座右の書はフリードマンの『選択の自由』だったという。エストニア初の民主的選挙で選ばれて自由化政策で奇跡の高度成長を実現したマルト・ラール元首相はフリードマンについて次のように語ったという。
「私が最初にミルトン・フリードマンの名を知ったのは、ソ連時代の只中だ。新聞か(党の)プロパガンダ雑誌だったと思うが、ミルトン・フリードマンという極悪人の危険な西側の経済学者について読んだ。当時、私はフリードマンの思想を何も知らなかったが、共産主義者にとってそんなに危険な人物なら、彼はいい奴に違いないと確信したものだ」
東側陣営の旧ソ連で「極悪人」呼ばわりされたのと同じように、フリードマンはなぜか西側陣営の筈だった日本でも知識人と官僚たちからヒステリックに「悪人」呼ばわりされてきた。つまり、フリードマンは金持ち優先の弱者切り捨て経済主義の代名詞のように言われてきたのだった。しかしながら、実際には、フリードマンが提唱した教育バウチャーは、スウェーデンやオランダなどのリベラルな国々で導入されているという。また、今よく言われる「ベーシックインカム」(政府が必要最低限の所得額を国民に給付する制度)も、実はかつてフリードマンが提唱した画期的な貧困対策としての「負の所得税」を発展させたものだという。従来の生活保護制度は、受給者が働くとその分給付額が減らされてしまうため、受給者の就労を妨げてしまう欠点があった。いったん生活保護受給者になると、その状態から抜け出すのは困難になりがちだった(この現象を貧困の罠と呼ぶ)。フリードマンは受給者自身の稼ぐ所得が増えるにつれて、収入も増えていく仕組みを導入すれば、貧困層の生活を助け、自立を支援できるはずだと考えたのだった。
ケインジアン対マネタリスト
ケインジアンによれば「貨幣量の変化の有効需要への主要な効果は貨幣量の利子率への影響を通じたもの」で、貨幣の役割はほとんど名目利子率の決定だけである。また、物価は賃金などのコストで決まり、「インフレは実物的現象で、貨幣的現象ではない」とし、それゆえに、有効なインフレ対策は金融政策ではなく、物価・賃金統制だという見方が支配的だった。ケインジアンにとっては、金融政策は景気にも物価にも無力とされていたのである。こうした知的状況を変えたのはまさしくフリードマンの理論的・実証的研究だったと柿埜は言う。
1990年代の日本の失敗は反面教師だった。日本がバブル崩壊後も緊縮的金融政策を続け、あまり効果の無い財政刺激策を繰り返したのに対し、米国は拡張的な金融政策で1980年代後半から1990年代初頭のS&L金融危機を克服し、財政政策は小さな政府路線をとった。結果はマネタリストの予言通り、金融政策が決定的な役割を果たし、日米の対照的な経済成績につながったのだという。
本書は世界で人気を博しているにもかかわらず、日本ではなぜか人気がないというフリードマンのマネタリズム経済学の再考である。
日本の官僚がフリードマンを悪人呼びした理由は明らかである。なぜならば、フリードマンは「小さな政府」を標榜していたからである。「小さな政府」とは、すなわち、役人の数を減らして官僚主導を脱却し、権力と富を官僚から民間経済に移す試みだからである。
本書の巻末ではアベノミクスにも触れている。民主党政権下で死んだようなデフレ不況が続いてきたが、2012年12月に民主党を破り政権を奪取した安倍首相の要請を受けて日銀はついに2%のインフレ目標を設定し、量的金融緩和を導入した。しかし、安倍政権がやらなかったことは小さな政府の実現だった。それどころか、消費税を増税して大きな政府への動きを推進さえもしている。
現在、中国武漢から発したコロナウイルス渦で全世界の経済が落ち込み呻吟している。もし、今ミルトン・フリードマンが生きていたならば、どのような提言をしただろうか。