『モーリス・クランストン編 政治用語集』 奥村房夫, 大谷恵教, 近藤申一, 芹沢 功, 小平 修 共訳
- 著者: モーリス・クランストン編, 奥村房夫, 大谷恵教, 近藤申一, 芹沢 功, 小平 修 共訳
- 出版社: 前野書店
- 発行日: 1975年9月15日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 絶版
山椒は小粒でも
早稲田(新宿区西早稲田1-4-16)の前野書店が今年2020年2月に閉店した。百年以上の歴史を持つ前野書店は、政治学の優れた本を数多く(2百タイトルともいう)上梓してきた出版社である。私が早稲田の大学生の時に買ったこの本、たった132ページにすぎない『モーリス・クランストン編 政治用語集』を見ると、「山椒は小粒でも
本書の序文でモーリス・クランストン(Maurice Cranston)ロンドン大学政治学教授は、次のように述べている。
「この用語集のなかの言葉は、政治問題に関する討論のなかにあらわれる抽象的な用語である。それらのなかの若干のものは正義、自由、平和、法のような概念を表示し、他のものは共産主義、ファシズム、自由主義のような教義やイズム──それらはイデオロギーとして適切に分類されるかもしれないし、あるいはされないかもしれない──を表示している。多くの人びとはこれらの言葉を、それらの意味をたたずんで熟考することもしないで、使用している。多くの政治的論議は、それゆえ、暗黒の雲のなかで行われる」
本書に載っている政治用語はたった41の単語に過ぎない。それは、以下の言葉たちである。
無政府主義(Anarchism), 権威(Authority), 共存(Co-existence), 植民地主義(Colonialism), 共通善(Common Good), 共産主義(Communism), 保守主義(Conservatism), 民主主義(Democracy), 独裁(Dictatorship), 教育(Education), ファシズム(Fascism), フェデラリズム(Federalism), 自由(Freedom), 人権(Human Rights), イデオロギー(Ideology), 帝国主義(Imperialism), 統合(Integration), インターナショナリズム(Internationalism), 正義(Justice), 法(Law), レーニン主義(Leninism), 自由主義(Liberalism), マルクス主義(Marxism), ナショナリズム(Nationalism), 中立主義(Neutralism), 平和(Peace), 人民民主主義(People's Democracy), 進歩(Progress), 進歩的(Progressive), プロレタリア階級(Proletariat), 人種/人種主義(Race / Racialism), 反動主義者(Reactionary), 修正主義(Revisionism), 自決(Self-determination), 社会主義(Socialism), 主権(Sovereignty), スターリン主義(Starlinism), 国家(State), サンディカリズム(Syndicalism), チトー主義(Titoism), 労働組合主義(Trade Unionism)
こうした言葉は普遍的であり、時代が変わっても、繰り返し繰り返し、世の中に現象として現われて議論の的になっているが、皆が知っているつもりであいまいな定義で各政治家たちが議論しているため、前提が違うので議論がかみあわないことが多いのだ。
豪華絢爛たる執筆陣
これらの言葉の定義は政治学の問題であると同時に哲学の問題でもある。本書(原書)の執筆陣は以下の通りで、豪華絢爛である。
- H. B. Acton ロンドン大学道徳哲学教授
- Maurice Cranston ロンドン大学政治学教授
- Henry Drucker エジンバラ大学政治学講師
- W. J. Fishman クイーンメアリー・コレッジ, ロンドン大学経済学講師
- Elie Kedourie ロンドン大学政治学教授
- Ernesto Landi ローマ大学
- Peter Lyon 連邦研究所, ロンドン大学
- Kenneth Minogue ロンドン大学政治学講師
- F. S. Northedge ロンドン大学国際関係教授
- Richard Peters ロンドン大学教育哲学教授
- Dorothy Pickles ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス
- William Pickles 元ロンドン大学政治学講師
- Leonard Schapiro ロンドン大学政治学名誉教授
- K. B. Smellie ロンドン大学政治学名誉教授
正義(Justice)とは
ローマ大学のアーネスト・ランディ(Ernesto Landi)によると、「正義(Justice)」とは、以下のように本書に書いてある。
「正義は、アリストテレスと他のギリシァの思想家たちによって、特殊な種類の平等とみなされた。しかし、彼らは、正義は【すべてのひとに対して同一のもの】を意味することはできない、とつけ加えた。なぜなら、それは不平等と同等者との同様な取り扱いを意味するのであろうからである。それでは、どんな種類の平等を正義はもたらすのか。正義に関する4つの命題を述べることは、役に立つであろう。すなわち、
- 各人に、その価値にしたがって
- 各人に、その必要にしたがって
- 各人に、その道徳的権利にしたがって
- 各人に、法がかれに属するとするところのものを
アリストテレスを含む若干の理論家たちは、正義は公共奉仕に最大の寄与をなす人びとが最大の利益と特権に値するのであって、それゆえそれらを受け取るべきだということを要求する、と主張してきた。多くの社会主義者を含む他の理論家たちは、貧者の必要は、富める者からの剥奪という犠牲を払ってさえも、満足させられることを要求する、と主張する。・・・」
上記は抜粋である。
十年前にハーバード大学のマイケル・サンデル教授の特別講義「Justice」(アメリカのPublic Broadcasting ServiceのWGBH制作)が日本でもテレビ放映されて話題になったが、こうした哲学的な考察こそが本来、大学教育では最も重要なのだ。
コロナウイルスをめぐる政府の補助金をめぐっても、本来ならばこの「正義」の概念をめぐってこそ支援の線引きについて議論すべきなのに、日本の国会ではほとんどそういう哲学的な根本的理論に基づく議論なしに、官僚の設定した枠組みのまま政治家が通してしまっている。野党もまた野党で与党のことをただ批判するだけで、その批判に理論的な深みが感じられない。こうした哲学的な考察の訓練を日本の政治家たちはしてこなかったからである。
本書は、とにかく、ひとつの言葉でも深く広い世界が広がっている。さらには、本書に掲載されている41語の言葉すべては、お互いに複雑に絡み合って影響し合ってきているのだ。
こういう素晴らしい本を出版してきた前野書店が閉店されたことを心から残念に思う次第である。