『三島由紀夫短編全集 6 剣』 三島由紀夫 著
- 著者: 三島由紀夫
- 出版社: 講談社
- 発行日: 1971年1月20日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 単行本: 絶版
不条理の死 三島由紀夫の『剣』
私は、三島由紀夫の短編小説『剣』を、剣道をやっていた中学校の時に読んで、半ば疑問も抱きつつも強い衝撃を受けたことを覚えている。
私は小学校の時に柔道場に通っていた。背負い投げが得意だった。学校で、ガタイのでかい同級生が不意に後ろからおいかぶさってきて両腕を私の首に回してきた時に、咄嗟に私は彼を背負い投げでぶん投げてしまったことがあった。意識して投げたわけではなく、身体が勝手に防衛反応したのだったが、彼は目の前で唖然として仰向けに横たわっていた。中学校でも柔道部に入ろうと思っていたのだが、入学前に柔道部の指導教諭が転勤になってしまい、教える師がいなくなったことで柔道部は廃部になったと聞いた。それで、同じ武道ということで剣道部に入ったのだった。小学校の私は肥満児すれすれのずんぐりした柔道体形だったのだが、中学で剣道をやり出してからみるみる痩せてすらりとした体形になったため、スポーツ体形というのは本当にあるんだねと母親が驚いていたのを覚えている。或る人に寒稽古と夏稽古とどちらがたいへんだと思うかと私が質問したことがあるが、「そりゃ寒げいこでしょ」と答えた。答えは反対で夏稽古である。柔道ではそんなことを感じたことはほとんどなかったが、剣道の防具は一種のサウナスーツで、夏稽古の苦しさといったらない。吐きそうになって水場に駆け込んだこともあった。だから、この『剣』を読んだ時に、ものすごく共感を覚えた。夏稽古の苦しさについて書いてあるからである。
『剣』のプロット
この短編小説は、次の文で始まる。
「黒胴の漆に、国分家の二葉竜胆の金いろの紋が光っている」
私の家の紋も同じ「りんどう」紋の「笹竜胆」なので共感を持ったが、「二葉竜胆」というものを知らなかった。調べてみると、凛として美しい紋章で、水平に左右に伸びた二葉と上下の竜胆の花で、一瞬「十字架」のような印象を私は受けた。十字架とはもともとは刑具である。
もしも万一、三島が「二葉竜胆」を十字架に見立てて使っていたとしたら、国分次郎の死をキリストの磔刑(たっけい)に見立てていたのかもしれないと思ったらゾクゾクする思いがした。
読んでいない人のためにネタバレをする気はないが、単純なプロットなので既にあらすじは多くの人が知っているかもしれない。
私が愛する「能楽」の役割に当てはめて言うならば、大学の剣道部主将の国分次郎がシテ(主人公)で、後輩の壬生がツレで、国分のライバルのひねくれた賀川がワキである。
剣道部は夏合宿を伊豆の海に近い禅寺で行う。海が目前なのに海で泳ぐことは禁止されて稽古に励んでいたが、国分が部長の木内を迎えに行くため留守にした日、賀川が皆をそそのかして海水浴へと向かわせてしまう。国分が部長を連れて寺に到着すると、皆はまだ海水浴に興じていた。
合宿の最後の納会のさなか、国分は稽古着に竹刀を持ってひっそりと寺を出て行った。深夜12時になっても国分が戻らないので騒ぎになる。木内の命令でみんなが手分けをして3本しかない懐中電灯をわけ持って裏山や海のほうに捜しに行く。やがて壬生を含む一隊が林の中に国分次郎の姿を発見した。締めの文は以下の通りである。
「懐中電燈のあかりに応じて、黒胴の照りが浮かび、二葉竜胆の紋の金がほのめいた。
次郎は稽古着の腕に竹刀を抱え、仰向きに倒れて死んでいた」
このように、短編小説『剣』は、二葉竜胆に始まり、二葉竜胆に終わるのである。
死因の謎
私が冒頭に「半ば疑問も抱きつつも強い衝撃を受けたことを覚えている」と述べた疑問とは、次のふたつである。
- なぜ死ななければならなかったのか?
- 国分次郎の死因はいったい何だったのか?
1の疑問を抱く人間に対して、三島由紀夫は「それがわからずに日本人か」と冷罵したかもしれないと思う。でも私はなおも疑問を持たずにはいられない。
2の死因については、私もいろいろと次のように考えてみた。
- 短刀自殺
- 服毒自殺
- 縊死(いし)
- 飛び降り自殺
まず、自死現場が「裏山の頂きの林の中」とあるので、飛び降り自殺が出来そうな場所ではない。
「脇に竹刀を抱え、仰向きに倒れて死んでいた」とあるので、縊死(首くくり)でもない。
服毒は薬の準備がないとできない。そもそも国分の性格から言って多量の薬を持って剣道合宿に行くことは考えられない。
とすると、残るは短刀自殺しかない。「仰向きに倒れて死んでいた」でこの小説は終わる。しかし、そのあと、懐中電灯で照らしていくと、血に染まった首筋に短刀で切った痕跡が見つかったかもしれないと、私は推測した。「脇に竹刀」はおそらくは左脇だろう。左手で竹刀を抱えている。しかし、右手のほうを懐中電灯で照らすと、右手には短刀が握られていた。
これが私の推測である。頸動脈切断と考えた理由は、切腹ならば「仰向きに倒れて」いることは考えられず、うつ伏せだったはずだと思うからである。
国分が寺の外に出て行くところは部員の一人が目撃している。「稽古着に、胴と垂れをつけ、竹刀を提げて出て行ったという」と小説にある。
このとき、脇差として、短刀を袴に挿していたのではないだろうかというのが、私の見立てである。これが当たっているかどうかはわからないが、国分の性格としては、それが一番ふさわしいように私には思えた。
三島由紀夫はその後、1970年11月25日に陸上自衛隊市谷駐屯地で、憲法改正の決起を呼び掛けた後に腹切り自殺をしてその生涯を終えた。
本書『剣』の主人公 国分次郎は、三島由紀夫自身の心象的な自画像だったのだろうと思う。
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