『知的生産の技術』 梅棹忠夫 著
- 著者: 梅棹忠夫 著
- 出版社: 岩波書店
- 発行日: 1969年7月21日
- 版型: Kindle版、 新書版
- 価格(税込): Kindle版: 880円、 新書版: 924円
知的生産とは何か
「知的生産」とは何か? 著者の梅棹忠夫(うめさお ただお: 1920~2010)は、知的生産とは、「何か新しいことがら:情報」 をひとにわかるかたちで提出することだと言っている。「情報」とは、知恵、思想、かんがえ、報道、叙述、そのほか、広く解釈してよいという。つまりそれは、研究者、学生、文筆業者、情報産業従事者といったような狭義の範囲をこえて、すべての人間がいまやその日常生活において「知的生産活動」をたえずおこなわないではいられないような社会に、われわれの社会はなりつつあるのだとしている。
著者の梅棹忠夫は、京都大学理学博士、文化人類学者、民俗学者で、国立民俗博物館名誉館長、京大名誉教授を務めた。
梅棹は、日本の学校教育は「おしえ」すぎると言う。知識ばかり詰め込み、それらを多く記憶することが知的であることと勘違いをしている。梅棹は次のように言っている。
「今日、学校においては、先生がおしえすぎるのである。親切に、あまりにも親切に、なんでもかでも、おしえてしまうのである。そこで学生は、おしえてもらうことになれて、みずからまなぶことをしらない。ということになってしまう」
一方で梅棹は、学校ではものごとをおしえすぎるのに、「おしえおしみ」をするとも言う。どういう点をおしえてくれないかというと、学校では「知識の獲得のしかた」はあまりおしえてくれていないと言うのだ。
どのようにすれば知的生産性を上げられるか
梅棹は、自分の知的生産の技術方法論を披歴する前に、注意点を述べている。それは、この本はいわゆるハウ・ツーものではないという。この本を読んでたちまちにして知的生産の技術がマスターできると考えてもらっては困るとくぎを刺している。研究の仕方や勉強のコツはあくまでも自分で考えてほしいと言う。ただ、この本の役割は、議論のタネをまいて、読者を刺激して、自ら考えてもらうその契機にすぎないというのだ。
梅棹は、この本はハウ・ツーものではないと言ったが、私はこの本には、ハウ・ツーと言っても過言ではないと思える、さまざまな具体的なアイデアが詰まっていると感じた。
それは、以下のようなワザ(テクニック)だ。
- 1ページに1項目
- 索引をつくる
- ノートからカードへ
- カード1枚に1項目
- 分類が目的ではなく、項目間の関連性の発見が目的
- ポケットに入るフィールド・ノート(硬い表示の付いた野帳)の携帯
梅棹は、自分の経験からカードのサイズの重要性にも言及している。カードはA6判(10.5×14.8センチ)くらいを使う人が多いが、そのような小さめのカードは単語カードや図書カードにはよいかもしれないが、複雑な知的作業には小さすぎて不向きだという。カードを使い始めても途中でやめてしまう人が多いのは、小さいカードを使っているからではないかと梅棹は推測した。梅棹が使う大振りのカードは、いつの日か、「京大型カード」として売られていることを発見し、梅棹はそのパテントを京大にゆずることに決心したという。
その梅棹式「京大カード」は、B6判(12.8×18.2センチ)と大振りで、これだけの大きさがあれば、たいていの用はたせるという。
梅棹がカードに書くのは、そのことを忘れるためだという。忘れてもかまわないようにカードに書くのだという。「記憶するかわりに記録する」・・・だから、新しいことを常に全力で思考していられるということなのだろう。
「知的生産」のデジタル化の課題
「頭に入れずにカード・ボックスに入れる」というのは、コンピューターに似ていると梅棹は言う。
本書が出版された1969年からもう半世紀が経っている。現在は当時と比較して飛躍的にコンピューターの性能が発達し、情報を現場からクラウドに送信したりということも難なくできるようになっている。
しかし、カード使いというアナログ・ベースで書かれた本書は、デジタルで実現・代替可能な部分もあれば、代替が困難な部分もあるように感じる。
たとえば、カード1枚に1項目ということはデジタル化できる。しかし、項目間の関連性の発見ということに関しては、デジタルだと関連語は検索できる。しかし、言葉の裏に潜む暗黙的知識の関連性は、コンピューターでは困難であり、スーパーコンピューターレベルのAIでも人間の暗黙知の理解能力には及んでいないように私には思える。すなわち、このあたりが、梅棹式「知的生産の技術」をデジタル化する上でのきわめて困難かつ重要な課題だと思えるのである。
本書は、「知的生産」の技術、コツ、アイデア、ヒントがほしい人にとっては、今でも必読の名著だと思える。
Kindle版