『国民食から世界食へ ー 日系即席麺メーカーの国際展開』
- 著者: 川邉信雄
- 出版社: 文眞堂
- 発行日: 2017年10月31日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 単行本:3,080円
手間暇とカネがかかった一大研究
本書は、「インスタントラーメン全史」とでも名づけたくなるような即席めん(麺)の歴史の包括的研究の成果であり、国際マーケティング研究の「精華」でもある。
日本で創造された即席ラーメンが産業として成長を遂げ、日本メーカー各社がどのように世界各国へ技術供与をしたり、工場進出をしたりしてインスタントラーメンが世界食になったのかを、膨大な現地取材とデータ分析とで書き上げた本である。何よりも、日本の即席めんメーカーの経営陣へのインタビュー取材や、世界各国の即席めん工場への現地取材など、長年の手間暇とカネがかかった大がかりな研究がこの一冊に集約されている。
著者の川邉信雄(博士、早稲田大学名誉教授)は、早稲田大学大学院商学研究科を出てフルブライト奨学生としてオハイオ州立大学大学院に学んだ。米国の国立公文書館などに残っていた第二次大戦以前の日本の総合商社の知られざる活動を明らかにした『総合商社の研究 戦前三菱商事の在米活動』で脚光を浴びた。その後は、『セブンーイレブンの経営史 日米企業・経営力の逆転』、『タイトヨタの経営史 海外子会社の自立と途上国産業の自立』など数多くの経営史の本を執筆してきた。
日本人による即席めんの発明
1945年、疎開先から大阪に帰った安藤百福の目に入ったのは、B29爆撃機の空襲によって焼け野原になった大阪駅前の変わり果てた惨状だった。その焼け野原に、何軒かのみすぼらしい屋台が立ってそこに人々が行列をしていた。その屋台ではラーメンが売られていた。安藤は、このラーメンを家庭で簡単に作れるような商品ができればよいのになあと、事業化を思いついたという。この時代、食糧難で栄養失調になる人が多く、餓死する人さえも出ていた。そば・うどん・そうめんといった乾麺文化が根付いていた日本で、ラーメンも簡単に作れるようにできるはずだと安藤は考えていた。安藤は即席ラーメンの開発に乗り出したが、そのために次の5つの要素を達成しなければならないとした。
- 安価であること
- 調理が簡単であること
- 衛生的であること
- 保存性があること
- おいしいこと
2の調理が簡単であるためには、調理時間の短縮を図らなければならない。そのためには、乾麺の生地を多孔質(細かな穴がたくさんあいていること)としなければならない。安藤は悩みぬいたが、妻がてんぷらをあげている場面を目にして、「これだ!」と思った。
水分を含んだ具材をてんぷらなべの中に入れると、高温の油で熱せられて水分が蒸散して水分のあった部分が空洞となると考えたのだ。
研究開発と膨大な調理試験を経て、1958年に「チキンラーメン」が開発された。大阪十三(じゅうそう)の千平方メートルの敷地に建てられた二階建ての工場で生産が始まると、フル生産しても需要に追い付けないほどに人気となった。発売翌年には、1万5千平方メートルの高槻工場の建設に取り掛かり、同年(1959年)末には生産が開始された。
「世界食」の現状
現在、世界で1年間に消費されるインスタントラーメンは、1千億食を超えるという。世界各国の即席めんの消費量ベストテンは、1位より、中国/香港、インドネシア、日本、ベトナム、インド、アメリカ、韓国、フィリピン、タイ、ブラジルとなっている。(2016年)
国民1人あたりの即席めん消費量のベストファイブは、1位より、韓国が年間76食、ベトナムが52食、インドネシアが50食、タイが49食、ネパールが47食となっている。(2016年集計。なお、香港地域だけでいうと香港は59食。)
ちなみに、日本の即席めんメーカーは、大手だけでも5社ある。それは、老舗順に、日清食品(1948年)、明星食品(1948年)、東洋水産(1953年3月)、サンヨー食品(1953年11月)、エースコック(1954年)である。
それぞれのマーケットシェア(市場占有率)は、本書によると、金額ベースで、日清食品が38.9%、東洋水産が22.2%、サンヨー食品が10.7%、エースコックが8.7%明星食品が7.5%、となっている。(2015~2016年)
日本メーカーの海外進出
日本で創造された即席めんが世界中で消費されるようになった背景には、日本の即席めんメーカーの外国企業への技術供与がまずあり、そして、海外直接投資があった。
日本企業から外国企業への技術供与としては、1963年に明星食品から、韓国の三養食品工業社への技術供与があった。韓国が国民1人あたりの即席めん消費量で世界一となったきっかけがこの技術供与にあったとされる。
明星食品は、韓国に次いで、1970年には台湾の味王発酵工業、ベトナムの越南天香味精に技術供与した。
日清食品は、1971年にはフィリピンのユニバーサル・ロビーナ社に、そして1975年には、英国のユナイテッドビスケット社に技術供与した。
1976年には、明星食品が、ケニアのクグル・コンソリテイテッド社に技術供与した。
1977年にはハウス食品が米国のゼネラルミルズ社に技術供与した。
その後も、日清食品や明星食品の世界各国への技術供与は続き、サンヨー食品や東洋水産なども、外国企業に技術供与している。
日本の即席めんメーカーは、1970年代以降、海外直接投資にも力を入れてきた。日清食品は1970年に米国カリフォルニア州にアメリカ日清を設立した。東洋水産も日清に続いて1972年にカリフォルニア州にマルチャンインクを設立した。そしてサンヨー食品は、1978年にカリフォルニア州に米国サンヨーを設立した。
その後も日本の即席めんメーカー各社は、米国各地に続き、アジア各国、中東、ヨーロッパ、アフリカにも海外進出してきた。
世界各国への現地化の課題
海外進出して自社の即席めんを米・欧・アジア・中東・アフリカ、それぞれの国でそのまま売ればよいというほど、マーケティングは簡単ではない。
それぞれの国にはそれぞれの食文化があり、各国国民の好みがまったく異なるためだ。
日本の即席めんメーカー各社は、この国際マーケティングの難しさに直面することとなった。この時、各社はどのように対応したのか。
エースコックの村岡寛社長は、「技術はグローバルだが、味は現地化する」ことが、食品では特に重要であると学んだと述べている。
本書には成功事例だけではなく、海外進出の失敗事例も載っている。サンヨー食品は中国への進出に失敗した。
サンヨー食品では、なぜ中国事業に失敗したかの原因を次のように分析している。
- 参入時期の遅れ。華僑系のメーカーが既に、粗末な製品を販売して市場を占めていた。
- サンヨー食品の味の良い高品質な商品が華僑系の粗末な製品に勝てると算段したが、実際は、中国の消費者は慣れた華僑系の味のほうを食べ続けた。
- 代金回収の失敗。中国では売掛が一般的だったが、売った商品の代金回収が中国業者から無視拒絶された。
結局、サンヨー食品は台湾系企業に大連三洋食品の株式を売却して、1998年、現地会社を清算した。
本書は、国際マーケティングの学術書だが、平易な文章で書かれているため、誰にでも即席めんの歴史と国際マーケティングが学べる内容となっている。
インスタントラーメンが好きでたまらないマニアと、国際文化の違いがマーケティングに与える影響(異文化マネジメント)について知りたい方々にとっては、これ以上ない教科書だと言える。
単行本