『占星術師たちのインド 暦と占いの文化』 矢野道雄 著
- 著者: 矢野道雄
- 出版社: 中央公論社(現 中央公論新社)
- 発行日: 1992年7月15日
- 版型: 新書版
- 価格(税込): 絶版
インド学の大家によるインド占星術の研究書
本書は、数学者でインド学の権威である京都産業大学の矢野道雄教授によるインド占星術の概論である。
矢野教授は本書の「はじめに」で「わたしは占星術を信じていないのであまり奥深く入っていく気になれないし、実践する気もない」とことわりながらも、次のように述べている。
「井戸を深く掘っていくと地下水につきあたり、地下水をたどっていくとまた別の井戸に出会う。そのように学問を掘り下げていくと普遍性に通ずるものに出会い、そこからまた別の世界が見えてくるはずだといわれる。・・・・・・わたしはインド天文学史を専門として選び、その専門に徹しようとしてきた。しかしその奥底がようやく見えはじめたころ関連分野である暦と占いに興味をもつようになり、それによってインドの歴史と文化がよりよく理解できるようになってきた」
著者には不思議な偶然が度重なる。
第一回目のインドへの調査旅行で、タイ王国領空で飛行機の左側の窓から見た南の夜空に、生まれて初めてカノープス(りゅうこつ座のα星)を見る「思いがけない幸運」に恵まれたのであった。著者はカノープス星に向い、「ナモー・アガスティーヤ」とサンスクリット語で挨拶した。インドでは、カノープス星をヴェーダ文献に登場する有名な「アガスティーヤ仙人」と同一視しているという。
また、インドに着いて、ニューデリーの国立美術館に行き、天文学と占星術のサンスクリット写本を見せてもらうための手続きをしていると、たまたまそこに居合わせた人がホロスコープ図(占星術の天体配置図)を描く画家であった。画家は、ちょうどその日の夕方から近くで「全インド占星術者学会(All India Astrologers' Conference)」があるのだが、自分は行けないので代わりに行ってみないかと学会への招待券をくれたのだった。
現在のインドと昔のインド
本書は、「いまのインド」と「むかしのインド」の二部構成に分かれており、章立ては以下の通りになっている。
<第一部 いまのインド>
- コンピュータ占星術
- 占星術師たちのインド
- インドの民間暦
- ネパールへ
<第二部 むかしのインド>
- 占いの始まり
- 占いの体系化
- ホロスコープ占星術
- インドの暦のしくみ
著者の矢野道雄は、インド調査の準備のために半年かけて京都大学大学院生の伏見誠の協力を得てインド暦のコンピュータプログラムを完成させ、それをインドへラップトップPCに入れてインドへ持って行った。そのインド暦のプログラムは、紀元500年頃に書かれたと言われるインドの古典天文学書『スールヤシッダーンタ』に基づいて伝統的な方法に忠実に従って惑星の位置を求めるようにしたものであったが、その紀元500年頃の古典天文学書のアルゴリズムに則ったプログラムを動かしてみて、著者は驚嘆したと次のように言う。
「実はわたしもプログラムを書いて走らせてみるまでは、これほどインド天文学がすぐれたものだとは思っていなかったのである」
占星術師との対話
矢野は、インドからの帰国便の予約確認のために目抜き通りにある日本航空のオフィスビルに行った帰り道、「占星術バンディット・K・B・パルサイ」という看板を見て、入って試してみた。受付にはパルサイが書いた新聞記事が何枚も壁に貼られていた。パルサイは数世紀続く占星術師の家に生まれ、先祖はマディヤプラデーシュ州のマハラジャ(藩王)の宮廷占星術師だったという。矢野は今回の旅行の目的を告げて、壁に貼ってあった値段表にしたがって350ルピーというホロスコープを注文したが、ホロスコープを作るのに時間がかかるので1時間後に来るように告げられる。1時間後にラップトップPCを持ってホテルから戻ると、ホロスコープと過去と将来の運勢を書いた文書を渡された。文書には次のように書かれていた。
「あなたはすぐれた学者であり、過去と同様これからも一生学問に身を捧げるだろう。あなたは実践的な人間になるべきなのに、あまり実践的ではない」
矢野はパルサイを挑発してやろうと思ってパルサイに向って次のように言った。
矢野: 「あなたが一時間かかって作ったホロスコープとほぼ同じ結果は、このコンピュータで数秒で出ますよ」
矢野はラップトップPCで結果を出して画面を見せた。
パルサイ: 「ラグナ(東の地平線と黄道の交点)の度数はどうなっているかね」
矢野は自分の一番弱いところを真っ先に指摘され一本取られたと思った。矢野は敗北を認めざるを得ず、次のように言った。
矢野: 「これはインドの古い暦をチェックするためのプログラムであり、ホロスコープ・プログラムとしては未完成です」
パルサイ: 「ラグナなしではホロスコープはありえない」
古今東西、様々な暦があるが、基本的には、太陽暦、太陰暦、太陰太陽暦の3種類のいずれかに分かれると矢野は本書に記している。
現代我々が使っているグレゴリオ暦に代表される太陽暦は、太陽の運動のみを考慮に入れる。
イスラム暦に代表される太陰暦では月の満ち欠けのみが重要であり、太陽の位置は考慮されない。
インドの暦は太陰太陽暦であり、月の満ち欠けと太陽の運動の両方を考慮に入れる複雑な暦である。すなわち、月の満ち欠け周期と、太陽の運行周期とを両方考慮するのである。バビロニアの暦や中国や日本の旧暦も太陰太陽暦だという。
矢野は「あとがき」で次のように述べている。
「わたしはフィールドワークの専門家ではないし、新たに文献を読みなおす時間もあまりなかった。インドの暦と占いはあまりにも複雑で、本書の規模では扱いきれない。しかし本書がなんらかの意味でインドを見る新しい視点を提供することができれば幸いである」
私(書評者)は、インド亜大陸には何度も取材で行っている。ニューデリーやオールドデリーはもちろん、ムンバイ(ボンベイ)、チェンナイ(マドラス)、ハイデラバード、カシミール、ラージャスターンにも行ったし、2か月間ほど滞在したこともある。インドでは占星術が民衆の暮らしに溶け込んでいて、多くの家庭では男女のホロスコープを見合わせて結婚の縁組をすると聞いた。だから、実はインドで占星術師から占ってもらったことも2回あるし、スリランカでもインド占星術とほぼ同様の占術で占ってもらったことがある。
生まれた日時の各天体(星)の位置から複雑な計算を経て出されるホロスコープと、その天体配置図をもとに占われるインド占星術は、人間は生まれた日時の天体配置の影響でその人間の基本的性質が形成され、その影響を受け続けるという仮説に基づいている。ジャイプールで世界遺産になっている18世紀前半の天体観測施設ジャンタル・マンタルにも私は行ったが、こうした天体観測と天文学を基礎としたインド占星術は、それが当たるかどうかはわからないが、きわめて魅惑的な世界であるように私には思える。