『帝国海軍と艦内神社 神々にまもられた日本の海』 久野 潤 著
- 著者: 久野 潤 著
- 出版社: 祥伝社
- 発行日: 2014年6月4日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 絶版
戦艦比叡の発見
去年:2019年1月31日に、南太平洋ソロモン諸島サボ島沖の海底で、旧帝国海軍の軍艦「比叡」が発見された。発見したのは米IT企業のマイクロソフト共同創業者だった故ポール・アレン氏の探査チームだった。
水深1千メートルほど(985m)の暗い海底で無人潜水艇のビデオカメラで撮影された、照明に浮かび上がる戦艦比叡の主砲:35.6cm砲と思わしき砲筒の生々しい映像には、胸が締め付けられるような思いを抱かされた。
ガダルカナル島(ガ島)とフロリダ島の間の海峡は”Iron Bottom Sound”(アイアンボトム・サウンド: 鉄底海峡)と呼ばれている。「フロリダ島」とはアメリカ人の呼び名で、本来の名前は「ンゲラ島」である。「アイアンボトム・サウンド: 鉄底海峡」と呼ばれる理由は、米国と日本の数十隻もの軍艦や貨物船がこの海峡には沈んでいるからである。ここはまさしく、日米海戦が最も激しく戦われた場所なのである。"Sound"とは「海峡」の意味だが、船が沈むときの鋼鉄が歪む悲鳴に似た音響(sound)をも私は想像させられる。
ガダルカナル島は日米両軍が熾烈な戦闘を繰り返した。南太平洋の要衝ガダルカナル島をめぐって、日米両海軍がここで数次にわたる海戦を繰り広げた。最初の頃は伝統的に夜戦に強い旧帝国海軍が赫赫たる戦果を収めたが、次第に米国海軍は夜間のレーダーによる正確な射撃の練度を増して、補給の少ない帝国海軍は昼間の米軍による空からの攻撃も相まって劣勢に追い込まれていった。結果的に制空権も制海権も失った日本軍はガダルカナル島への補給が途絶えて飢え死にする日本兵が相次ぎ、ガ島の「ガ」には餓死の餓という文字があてられて「餓島」と呼ばれた。
戦艦比叡の艦内神社
戦艦比叡については誰でも名前はよくご存じかと思うが、私はかつてこの戦艦の名前につけられた「比叡」という山がどちらの比叡なのかといぶかったことがあった。それはつまり、日本には比叡山がふたつあって、京都の鬼門にあたる艮(うしとら)方位に位置する神仏の山「比叡山」か、もしくは、九州の宮崎県にある「比叡山」か、という訝りだった。結局、戦艦比叡は、神仏の山、京都の鬼門にある比叡山ということだった。
日本の軍艦には艦内神社というものが祀(まつ)られている。そして、戦艦比叡の艦内には、比叡山にある日枝神社が祀られている。私は取材で自衛隊のイージス艦の航行に同乗したことがあって、艦内に小さな神棚が祀られていることは知っていた。
大洗磯前神社の前の海 撮影:石川雅一
茨城県の大洗にある「大洗磯前神社(おおあらいいそざきじんじゃ)」という神社が私は好きで何度も訪れたことがあり、また社殿でお祓いを拝受したこともあったので、「大洗さま」という神社社報が時々送られてきていたが、2014年6月発行の社報表紙にあった護衛艦の写真を見て、磯前神社の神を奉祭する護衛艦があることを初めて知った。その社報記事は、磯前神社の分霊を奉斎してきた護衛艦「いそゆき」(はつゆき型護衛艦の六番艦)が29年間の職務を終えて除籍退艦となり、長崎県佐世保基地において青木艦長以下乗組員参列のもと昇神祭が斎行されたという記事であった。
艦内神社についてまとめた稀有な本
前置きがだいぶ長くなってしまったが、本書は、旧帝国海軍や海上自衛隊が艦内で祀ってきた神社についてまとめた希有な本である。その名も「帝国海軍と艦内神社 ・・・神々にまもられた日本の海」というタイトルである。
著者は京都大学卒の久野 潤(くの じゅん)氏で、内容は自分の脚でインタビュー調査を積み上げた実に地道な本である。艦内神社についてまとめた本としては初めての本だという。2014年に刊行された時に私は新刊を購読したが、戦艦比叡の発見の件もあり、アマゾンでこの本を再検索するとやはり絶版になっていた。ところが、本書の古書価格が6400円~2万7千円ほどに高くついていることに驚いた。古書になると1円になる本も多い昨今だが、やはり良書は絶版になるとむしろ高騰するようだ。
著者の久野氏は、護衛艦「ありあけ」の宗教行事が新聞メディアに問題とされた2002年の出来事から書き始めている。長野県南安曇郡穂高町の有明山(ありあけやま)神社で、2002年3月に就役予定の海上自衛隊の新護衛艦「ありあけ」の菅原艦長を招き、神社が祭る神の霊を同艦に分け与えるという「御分霊(みたまわけ)」の神事が行われたことに対して、政教分離の原則に抵触するのではないかという批判が出たのである。すなわち憲法20条「信教の自由」と憲法89条「公金は宗教組織に供してはならない」の問題である。
政教分離の問題については、私もかつてインドで「世俗主義」(secularism)の取材をしたことがある。 ヒンズー教やイスラム教やキリスト教やシーク教やパルシー、そして仏教など多数の宗教が鮮烈に分かれているインドでは、日本など問題にならないくらいに政教分離の問題は先鋭的に社会に様々に反映されるのである。
政教分離と世界の政教基準
日本は世界のなかでも例を見ないほどに最も政教分離原則が厳しい社会とされている。しかし、ものには程度というものがあるのである。たとえば米国などは大統領就任式を見ても聖書に手を置いて宣誓するのが決まりとなっていて、宗教と政治とは切り離すことができないのである。拙著『アメリカ独立宣言』でも私は書いたが、アメリカ独立宣言と対英戦争は、「神のもとの平等」を掲げて行われた。また、英国でも国教を定めている。政教分離とは、自分たちの伝統的な信仰を堅持しながらも、他の信仰や宗教に対しても政治的に寛容であるということが世界的な主立った共通認識なのである。こうした世界観のなかで日本のしきたりも見る必要があるように私には思える。
日本が政教分離原則で世界で最も厳しい国になったのは敗戦直後から敗戦国として強いられてきた慣行であるということが事実としてある。占領軍は日本の優れた航空機製作技術を封殺するために航空機産業の継続育成さえ許さない時期が戦後長く続いたが、そうした占領政策は文化面にも強く及んでいた。私は剣道初段であるが、剣道というスポーツもGHQは軍国主義的だとして一時は事実上禁止とされたのであった。
護衛艦「ありあけ」の例で言えば、1935(昭和10)年に旧帝国海軍の駆逐艦「有明」が就役した際に、ゆかりの名として神社の祭神を艦に分霊したことがあるという。護衛艦の艦内神社はこうした旧帝国海軍艦船の艦内神社の伝統を継いだものである。旧軍がやったことをGHQはすべて否定して日本から軍隊色を消滅させようとしたものの、東西冷戦のなかで朝鮮戦争が起きると、日本の再軍備が必要だと米国は手のひらを返した。
日本はこういう政治情勢の激変の中で左に揺れ右に揺れ、本来の日本人の伝統的な心のあり方をとかく忘れがちだったのではないだろうか。親を殺し子を殺し友人を殺すような荒んだ心と、不法薬物に逃亡するような病んだ心は、いったいいつどこから日本人の精神構造に入り込み蝕むようになってきてしまったのだろうか。かつて日本人は八百万(やおよろず)の神や万物を崇拝し、親を敬い、日々感謝の心で生きる民族ではなかったのではあるまいか。
『帝国海軍と艦内神社 神々にまもられた日本の海』では、旧帝国海軍の艦船で祀られてきた神社が数多く網羅されている。戦艦大和(やまと)に奉斎された神社は奈良県天理市の大和(おおやまと)神社だという。また、軍艦だけではなく民間船舶も船内神社を祀っていたとされ、たとえば貨客船氷川丸(ひかわまる)には、氷川神社の紋章が船内に意匠されているのだという。
『帝国海軍と艦内神社』は、実に興味深く面白い本である。本書を読むことで、忘れかけていた何かを見いだすことがきっとあるのではなかろうか。