『ヘミングウェイ大事典』 今村楯夫・島村法夫 監修
- 著者: 今村楯夫・島村法夫 監修
- 出版社: 勉誠出版
- 発行日: 2012年7月21日
- 版型: 大型本
- 価格(税込): 大型本: 絶版
重さ3キロ近い巨大な事典
ブリタニカ国際大百科事典の1巻分より分厚い。重さを量ると2.7キログラムと三キロ近くある。
本書を買うのは大学図書館や研究者以外には、次のような人物が相当するだろう。
ある時はパリでヘミングウェイが通ったカフェでヘミングウェイがいつも座っていた定席を見つけてその椅子に座ってワインを飲んで感慨に耽る人間。そしてまたある時は、フロリダのマイアミからレンタカーで260キロも海上の一本道を南下してヘミングウェイの旧邸宅に行き、ヘミングウェイが愛した猫の子孫たちが今も居座る書斎や庭を観て愁眉を開くような人間。・・・・・・ つまり、私のような熱烈なヘミングウェイ・ファンのことだ。
本書は索引を除いて903ページあり、冒頭の8枚16頁が写真集になっている。この写真集には幼年時代、第一次世界大戦、パリ、キーウエスト、サファリ、スペイン内戦、キューバ、第二次世界大戦、中国、ヴェニス、アイダホ州ケチャム、交友、四人の妻 といった順で様々な写真が載っている。
幼年時代の写真では、女の子の服装をさせられた幼いヘミングウェイの写真が印象的だ。幼い男児に女装をさせるというのは欧州の名門家庭の因襲だ。貴族の男児は毒殺されたり狙われやすかったので女児に偽装したのがこの旧習の由来だという説がある。別の写真では、やはり子供の頃から猟銃を父から持たされている。長い釣り竿と魚籠を持った少年の写真もある。
1918年に志願兵として第一次大戦に参加した時のポートレートは、トム・クルーズそっくりのイケメンだ。第一次大戦のイタリア戦線で傷病兵運搬車の運転手をつとめたが、ドアのない運転席に座った青年ヘミングウェイの写真もある。
妻たちの写真では四人のそれぞれの妻の面影がよくわかる。最初の妻ハドリーは、ヘミングウェイが書きためていた小説原稿とそのカーボンコピーまでもトランクに詰め込んで駅で盗難に遭い紛失してしまったのだったが、横眼で笑うその表情からは、なんとなくおっちょこちょいっぽい雰囲気がやはりある。二人目の妻は限りなく優しそうな眼差しと微笑みだ。三人目の妻は、猟銃を構えて草原に立っていて如何にも気が強そうだ。四人目の妻は一見カメラ目線のようにみえて実はカメラよりも遥か先を見据えた眼に達観とも懐旧ともつかぬ茫洋とした心が感じられる。
ただ、本のカバー表紙の写真、ただ椅子に漫然と座った写真に関しては、ファンとしては、表紙に使うのならもっとずっと良い写真がいくらでもあったろうに。と少し残念に思う。
事典の構成内容
本書は第Ⅰ部と第Ⅱ部とに分かれている。それぞれの構成内容は以下の通りである。
第Ⅰ部 作品編
- 長編
- ノンフィクション
- 短編
- 高校時代及び死後出版された作品
- 戯曲
- 詩
- 雑誌記事
- 書簡
第Ⅱ部 一般項目編
- 家族
- 作家
- 編集者・研究者
- 交友関係
- 動植物
- 国・都市
- 衣食住
- 文体・技法
- モチーフ・批評用語
- ジェンダー・セクシュアリティ
- 人種
- 芸術
- 時代・戦争
- 年譜・系図・地図
第Ⅱ部の「モチーフ・批評用語」としては、次のような項目がある。
- イニシエーション
- 失われた世代
- 鏡
- 髪
- 原始主義
- 「作者」あるいは作者性
- 死生観
- 宗教観
- 祝祭
- スポーツ
- 政治
- 政治姿勢
- 帝国主義
- 伝記研究
- トラウマ
- ネイチャーライティング
- 日焼け
- 病気・怪我
- フェティシズム
- フェミニズム・ジェンダー批評
- 双子化体験
- ポストコロニアリズム
- モダニズム
- 連邦捜査局(FBI)
「双子化体験」とは、ヘミングウェイの作品にたびたび登場する、兄弟のようにそっくりの男女、もしくは同一の容姿になりたいと願う男女の心理を指して批評家が言った言葉だ。批評家マーク・スピルカはこれらの登場人物のいわゆる「双子化」について研究したという。「双子化」について精神分析的な観点からいうと、男女一体化の幻想は、登場人物が抱く何らかの「不安感」や「空虚感」を埋める役割を果たしているのだという。
「ポストコロニアリズム」については、ヘミングウェイは人生の半分をカリブ世界との関わりのなかで過ごした作家なので、へミンウェイを合衆国の作家としてみるほかに、ポストコロニアル批評の視座からは、「植民地主義以降」のカリブ世界の文学者のひとりとして位置付けることができるという。
3キロ近い重さの本書は気軽に片手の上にのせて読めるたぐいの本ではないが、ヘミングウェイ研究者や、熱烈なヘミングウェイファンにとっては、御機嫌になれる本、いや、というよりも、「ひとつの宇宙への扉」だろう。そして、本書の扉をひらくたびに、その宇宙が如何に広大無辺であるかを、ファンは改めて感じ入ることになるのだ。