『異端のすすめ』 橋下 徹
- 著者: 橋下徹
- 出版社: SBクリエイティブ株式会社
- 発行日: 2020年2月15日
- 版型: Kindle版・新書版
- 価格(税込): Kindle版: 822円、 新書版: 913円
橋下徹の生きざまとスタンス
本書は、橋下徹(はしもと とおる:1969年生まれ)が自分自身の人生を振り返って書いた、橋下流の「身の処し方」の処方箋である。人生を生きていくと必ず岐路(きろ)がやってくる。その分かれ道でどちらの路に歩を進めたらよいか、それを選ぶ秘訣が本書には書かれている。
橋下徹は、大阪維新の会法律顧問で、大阪府知事、大阪市長、大阪維新の会の初代代表、日本維新の会代表などをしてきたが、最近はテレビのコメンテーターを多くしている。彼の職業は弁護士であり、政治家であり、タレントともされているが、一言でいうならば、やはり「言論人」という言葉がしっくり来るように私には思える。
言論人の身の置き場所:「スタンス(stance)」として一般によく言われるのは、左派、中道(中立)、右派の三つであるが、橋下徹は融通無碍(ゆうづうむげ)だ。時に中道だと思うと右派的論調になり、また左派的な意見になったりもする。「融通無碍」は誉め言葉だが、凡人がそんなことを下手にすると、「木に竹を接いだような」とか、「一貫性がない」とか、「論理的に破綻している」とか非難されがちだ。しかし、橋下徹の場合はケース(案件)ごとに適切な回答であり、しかも、ほかの大多数の人間が真っ先に思い浮かべそうな意見の虚をつくようなユニークさを持っているので、多くの人の反応は驚嘆が先になる。
このような橋下徹のユニークなスタンスを、たった一言で「異端」とまとめたことは、本人の発想だったのか、もしくは出版社編集人の発想だったのかは知らないものの、いずれにせよ慧眼である。
表と裏の両方を見て自らリスクをとる
どこの世界に生きる人でも、自分がリスクをとることを避けたいと思っている。しかし橋下徹は違う。
橋下徹は早稲田大学政治経済学部を卒業後、25歳で司法試験に受かると大阪の法律事務所に就職して「イソ弁」になった。「イソ弁」とは、独立するまで事務所に居候(イソウロウ)する弁護士のことだという。
当時のイソ弁は事務所の仕事以外の個人の仕事を受けることができたという。そういう外部の仕事の報酬は事務所の固定給とは別にイソ弁の報酬として上乗せできた。しかし橋下徹は、その外部報酬の30%を事務所に入れるという契約を自ら結んだという。イソ弁は事務所でファイリングなどのお手伝いをしてくれる事務所職員やコピーやファックス、会議室や光熱費も事務所負担で使えた。それだけに外部の仕事をそこでするのに引け目を感じたくなかったと橋下は言う。払わなくてもよかったイソ弁の外部報酬の一部を所属事務所に払うという契約を自ら申し出て取り結んだ橋下の突飛な行動の背景には、「表裏の一体性」という橋下の持論があった。
「表裏の一体性」とは、表側と裏側はまったく異なる正反対のものでもつかず離れずの一体であるということで、たとえば、自由と責任、権利と義務という関係性だという。
自由だから何をやってもよいというのは、単なる無秩序にすぎないと橋下は言う。
岐路においてどちらの道を選ぶか
山道を歩いていくのと同じように、人生を生きていくと必ず岐路(きろ)がやってくる。ふたまたになった分かれ道である。
岐路に立たされた時に、自分はどっちの道を選んで進んだ方が自分にとって正解なのかと迷う時がある。
橋下は言う。「迷ったら、大胆なほうへ前進せよ」
大胆なほうとは、より困難そうに見える、自分にとって未知の道のほうである。
橋下徹は弁護士からテレビタレント、タレントから大阪府知事、大阪市長、国政政党代表というキャリアを歩んできたが、その道のりは全てその選択をしてきた結果だという。
1997年のある日、高校のラグビー部の先輩でラジオ番組のディレクターだった人から電話を受けた。
「ラジオの深夜番組に出演予定だった弁護士が急に出られなくなってしまった。橋下、ピンチヒッターで出てもらえないか」
橋下は迷ったものの、それまでやったことのない道を選んだ。
初めてのラジオ出演が終わった。すると今度は、このラジオ放送を聴いていたテレビ局のプロデューサーから「うちの番組にも出演してくれないか」という依頼が入ったという。
橋下徹がテレビタレントになった経緯とはこういうことだったのだ。より困難そうに見える、自分にとって未知の道のほうを大胆に選ぶという決断が橋下の多彩なキャリアを作ってきたのだということがわかる。
人生設計などできない
目標や計画を立てることは大切なことだ。しかし、不確実性(本では「不確定性」)の強いこの時代に、人生を設計してその設計通りに人生を生き抜くことができる人は例外中の例外と橋下は言う。
だから、大切なのは、20年後に自分がどうなっているかを今心配するよりも、今というこの瞬間に自分の努力を注ぎ込んで生きることだという。人生は今この瞬間の延々とした積み重ねなのだ。
人生百年時代と言われるが、人生は長いようで短い。世界中で新型コロナウイルスの感染が蔓延して大恐慌が迫りつつある不確実な今だったらなおさらのことだ。
そんな不確実な世の中で、自分の人生を振り返ったときに「納得感」が得られる人生を送ってほしいと橋下は言う。
「納得感」とは、お金持ちになったとか、成功したかとかではなく、「自分のエネルギーをすべて出し切って完全燃焼したかどうかで決まる」と橋下は言う。
確かにそうだ。あの世に持っていけないモノやカネは、三途(さんず)の川でヒトを測るメルクマールにはならないはずだ。
本書『異端のすすめ』を桜満開の時期に読んだ。人生を桜の花に重ねながら思い感慨にふけった。
つぼみがふくらみ、咲いてゆく桜の花は皆から愛でられ称賛され、そして惜しまれ哀しまれながら散っていく。私たち人間も、桜の花のように生きられるだろうか。
桜の花は散ってもまた翌春は咲くだろう。人間もこの人生が終わった後に輪廻するのだろうか。たとえこの一回きりの人生でも、いや一回きりだからこそ、橋下が言うような「納得感」のある人生を送りたいものだと思った。
本書は、手に持ち読み進むうちにエネルギーを感じる。それは、自己啓発書で同じようなことを書いてある他の本とは違って、著者がたぐいまれなエネルギーを持って発散し続けている人だからだろう。
この言論人が発信することはユニークだということで知られている。しかしその独特の発言にはそれを裏付けるデータと自信があり、その自信が言霊にエネルギーとなって込められているような感じを少なくとも書評者は受ける。
橋本のような、人々を納得させる論理的説得力とあらゆる問題への対策発信能力がある人間に、いつかこの国の総理になってほしいと思う人は多いようだ。
本書は、少なくとも、橋下徹のファンにとっては必読の書だと思う。
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