『アメリカ史における辺境(フロンティア)』 F・J・ターナー 著, 松本政治 & 嶋 忠正 共訳
- 著者: F・J・ターナー 著, 松本政治 & 嶋 忠正 共訳
- 言語: 日本語版
- 出版社: 北星堂書店
- 発行日: 1973年2月20日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 単行本: 絶版
地理上の辺土進出が宿命づけられた米国
アメリカ合衆国の行動態様の背景に存在する秘密を知るには、米国における開拓の歴史ということに目を向けなければわからないと私はずっと思っていたので、この本を入手できた時の感慨深さは今思い出しても鮮烈である。
本書『アメリカ史における辺境』(原題は"The Frontier of American History")の著者ターナー(Frederick Jackson Turner: 1861~1932)はハーバード大学教授を務めた歴史学者である。
ターナーは、本書の序で次のように語っている。
「人間精神の歴史に対するアメリカの貢献の中で、独特で貴重なものの大部分は、アメリカ型の辺境を新地域に拡張し、連続した広大な辺土に新しい理想をいだいて社会を創りあげていった時の米国民の特殊な経験によるものであった」
そして、こうした経験が、アメリカ国民の経済的、政治的、社会的な特質や、彼らの運命に対する考え方の土台ともなってきたと主張している。
現在においてさえも、アメリカ人のDNAやマインドセットに潜む節理は、辺境への物理的かつ精神的な理想主義の前進なのではなかろうかと思える。
西へ西へと辺境開拓
英国王は1763年の布告によって、植民地部落の前進を阻止しようと企てた。大西洋岸に流れ込む河川の水線を越えた地域(英国王の実質的所有地)に入植することを禁じたのだった。しかしその布告は功を奏さなかった。アメリカ独立戦争当時には、辺境はアレゲニー山脈を越えてケンタッキーとテネシー地方へ進出し、オハイオ川の上流地域も植民されていた。
十年ごとに辺境のはっきりした前進が起こった。1820年の国勢調査によれば、入植地域はオハイオ州、インディアナ州とイリノイ州の南部、ミズーリ州の南東部とルイジアナ州のほぼ半分に至っていた。
19世紀の中ごろには、辺境は大平原(Great Plain)とロッキー山脈を飛び越えていった。
日本が江戸時代末期の頃にアメリカ合衆国で国務長官をしたカルフーン(Calhoun, 1806~1850)は、アメリカ社会の発達は、辺境で絶えず新規まき直しの状態で始まったと述べている。アメリカ人の生活の長期にわたる不断の流動性、新たな機会に恵まれた西部への拡張、その辺境で原始社会とみなした異文化との接触、そうしたことがアメリカの国民性を形成するのに有力な力となったと、カルフーンは主張している。
実際、アメリカの辺境は、ヨーロッパの辺境とはまったく違っていた。ヨーロッパにおける辺境とは、稠密な人口の間をつき走っている要塞化された辺境線のことを意味していた。それに対してアメリカの辺境は、人の姿がほとんど見られない大自然であり、自由地域内の端にあって、進出開拓が容認されていた土地であった。
開拓者の経験がのこした精神的遺産
連綿とした開拓者の経験がのこした遺産は、一般市民の寛容と能力を信頼するような民主社会が可能であるとする熱烈な信念であると著者は主張している。自由な社会にあって各自にその本分をつくす役割を与え、一般市民を信頼して不和を調停し、個人の自由が失われることがないように時には武力をもって戦うということが、そもそも開拓者の経験によってアメリカ人の脳裏に刷り込まれた精神的遺産だということである。
本書原典はとても古い本であるが、いまだにその輝ける魅力を失っていない。
本書を読むと、開拓者たちがかつての本国であった英国の国王と絶縁して独立戦争を戦った経緯が必然であったことがよくわかるし、その後の数多くの戦争へと踏み切った理由の一端がアメリカ人の脳裏から垣間見られるような感さえ受ける。知的好奇心をかきたてる本である。