『中央研究所の時代の終焉』
- 著者: リチャード・S・ローゼンブルーム & ウィリアム・J・スペンサー編, 西村吉雄 訳
- 言語: 日本語版
- 出版社: 日経BP社
- 発行日: 1998年10月12日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 単行本:絶版;アマゾンで中古本が現在(2020/4)3千円ほどから入手可能
19世紀から近年までの産業界の研究開発の歴史
本書の編者ローゼンブルームは、ハーバード・ビジネス・スクールの教授で、共編者スペンサーは半導体産業研究開発コンソーシアムSEMATECHの社長である(出版当時)。本書は、この2人の編者が11人の論文を1冊の本にまとめたものである。
本書『中央研究所の時代の終焉』の英語原題は”Engines of Innovation”。これを直訳すると、『イノベーションのエンジン』になるが、『中央研究所の時代の終焉』という日本語タイトルは、決して悪くない題名だと書評者には思える。なぜならば、本書の内容を実によく表出しているからだ。
米国で産業界のサイエンティフィックな研究開発が始まったのは1875年からとされているという。その年、米国初の大企業のひとつであったペンシルベニア鉄道が、化学分野の博士を採用して、サイエンスを実業に役立てようとしたのだ。1900年には、ゼネラルエレクトリック社が研究所を設立した。
ドイツは米国よりももっと進んでいた。1900年の段階では、化学産業ではバイエル、バスフ、ヘキスト、電機産業では(日本語版では「電気産業」と訳している。)シーメンスが持っていた。これらのドイツ企業の研究所に匹敵するような充実した研究組織を持った米国企業はその段階ではまだなかった。
戦争とR&D
第二次世界大戦は巨大科学の時代をもたらした。原子爆弾、レーダー、近接信管、電子計算機などが大学の科学者たちの研究が集中的に動員されて生まれた。
「近接信管」を知らない方のためにここで書評者が説明する。日本の艦上爆撃機は大戦初期には英国戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈するなど多大な戦果を挙げたが、米国は近接信管を発明実用化して対空砲弾に適用して大量生産した。近接信管は弾丸を爆発させる信管(フューズ)だ。通常の信管は目標に当たった衝撃で爆発するが、近接信管は当たらなくても目標に近づいた瞬間に爆発させることができる。高射砲で一定の高度で爆発するようにタイマーで起爆させる時限信管とも異なり、あくまでも目標物のすぐ近くで爆発する。近接信管は電波を発信しており、目標物に反射した電波を感知すると弾丸を爆発させる仕組みなのだ。この近接信管が実用化されてから、日本の艦上攻撃機やその後の特攻隊攻撃機もほとんどが撃ち落されてしまうようになった。以来、現在の地対空ミサイルや空対空ミサイルにも近接信管は使用されている。
第二次大戦中の政府主導の軍事研究は、戦後の米国とソ連の冷戦下における軍事研究に引き継がれた。
米ソ冷戦では、米国連邦政府の研究支出をほとんど軍事向けにしてしまったという。この傾向は産業界でも一緒だった。第二次大戦後のエレクトロニクス業界の発展のすべてが、連邦政府の莫大な軍事研究費によるものだったとされている。
戦後の1950年代から1960年代前半に、多くの米国企業がヨーロッパに研究所を設立した。この流れはパックス・アメリカーナと呼ばれた戦後体制の確立の中で、米国が国際化を目指した当然の帰結だったように書評者には思える。
1983年、レーガン大統領は、アメリカや同盟国に届く前にソ連のミサイルを迎撃し、核兵器を時代遅れにする「SDI(戦略防衛構想)」の開発を呼びかけた。通称「スター・ウォーズ計画」と呼ばれたこの大規模な研究開発プロジェクトのために、莫大な連邦政府予算が計上された。ソ連もこれに追随しようとしたが、この大規模予算に追いつけるだけの経済力がソ連国内にはすでに残っておらず、これが、ソ連崩壊の一因になったとされている。
中央研究所のデメリット
ゴードン・E・ムーアは言う。
「大企業の大きな中央研究所は、所属する企業よりも公共への貢献のほうが多かったのではないか。・・・スピンオフ企業や業界全体は大きな研究所からたくさんの収穫を得るのに、その研究所を所有している会社自身はたいして収穫を得られないのは、なぜだろうか。・・・研究所を持っている会社には本質的な不利がある。こういう会社は大きく、成功しており、老舗である。だから新しいアイデアの活用には抵抗がある。あるアイデアが数年のうちに重要になると認知されたとしても、十分な関心を集めるのは難しいし、最適な人員を割り当ててもらえる可能性も小さい。・・・大企業が大股で走り抜けたあとに残されたアイデアを持って走るのは、スピンオフ企業やベンチャー企業の役割である」
ここで出てくる「スピンオフ企業」とは、大企業の一部門が大企業の外に出されてベンチャー企業になったものである。大きな企業ほど競争力があって有利だという古い固定観念に対して、ムーアは否定的な意見を展開している。
本書の功績
本書は"Engines of Innovation"という英語原題の通り、産業界や企業のR&Dの原動力が何なのかという点を史実を展開しながら述べた興味深い書である。
ただ、11人という多い著者のそれぞれの論文を二人の編者がまとめるという形をとっているため、読者は、読み進んでいくうちに、流れのよどみや、プロット(筋)の齟齬に時折遭遇することになるかもしれない。少なくとも書評者は時々そう感じた。
また、本書では日本語タイトルを「中央研究所の時代の終焉」としているが、中央研究所が終焉に至る原因というものが明確に述べられてはいない。
実は私(書評者)は、米国の軍事研究の中心地であったロスアラモス研究所を取材したことがある。ロスアラモスは、原爆を研究開発して実用化した研究所である。
私が取材した当時(1993年)は、1991年末の旧ソ連崩壊後を受けて米国連邦政府の軍事研究予算が大幅に削られ、ロスアラモス研究所でも、研究所の存続のためにラボを民間企業に開放しつつあるところだった。爆発の研究には最先端の地なので、日本の本田技研工業がエアバッグの研究実験をしていると研究所で聞いた。
私が思うに、中央研究所の終焉のきっかけとなったのは、やはり、あのソビエト連邦の崩壊の影響だったのだろう。旧ソ連の崩壊を受けて米国連邦政府予算が削られて、ロスアラモスに限らず、政府の巨大研究所や巨人企業の中央研究所はクローズドな形から、よりオープンな形での存続を模索しだしたのだった。その開放された中央研究所に、ほかの企業の研究所や、小さな研究開発主体のベンチャー企業が群れるようになっていったのだ。
本書は、11人の論文をまとめたものだけに川の流れのように淀まず読み進むのには少し難がある。しかしながら、それでも、産業や企業のR&Dや国家の研究開発への関与について考える時に、本書を読まずにその歴史と全体像を把握するのはありえないほどに本書は貴重だと思われる。広範なR&Dについて研究されている方ならば、必読の書だと思う。