『デカルトの暗号手稿』 アミール・D・アクゼル 著, 水谷 淳 訳
- 著者: アミール・D・アクゼル 著, 水谷 淳 訳
- 出版社: 早川書房
- 発行日: 2006年9月20日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): ¥2,090-
デカルトの墓を訪ねて
実は私(書評者)は哲学者ルネ・デカルト(René Descartes 1596~1650)の墓参りに行ったことがあるほどにデカルトが好きなのだが、私がデカルトに傾倒するひとつのきっかけとなったのが本書であった。
私がパリのサンジェルマン・デ・プレ教会(Église Saint-Germain-des-Prés)を訪れた時、そのがっしりとした高い尖塔は、小雨の冬の空のなかに雄々しくそびえたっていた。
撮影: 石川雅一
私は教会事務所でデカルトの墓参をしたいと告げると、事務員の若い女性がデカルトの墓がある場所の方向を指さして教えてくれた。撮影の許可を得て、彼女が指さした方角へと歩を進めた。日本で墓というと寺の本堂の外側にあるが、デカルトの墓は教会堂本堂の側廊(Aisl)の一角にあった。
撮影: 石川雅一
静謐な冷気の中で祭壇には白い花が赤いガラス瓶に活けられており、3つ並ぶ黒い墓碑銘の真ん中には、黄金の文字で”DESCARTES”の文字が確かに刻まれていた。私は、「DESCARTES」と金文字で記された墓の銘板に対面しながら、まるでデカルト本人と時空を超えて会えたような幻覚に見舞われ、うれしさのあまりに右手で黒い銘板をそっと触れてみた。銘板は冷たかったが、デカルトと対面して握手が出来たような錯覚にしばし浸った。
デカルトは、晩年、スウェーデン女王クリスティーナからの熱烈な招きでスウェーデンに行って女王の講師となったが、肺炎がもとで亡くなった。当初スウェーデンに埋葬され、その後、このパリのサンジェルマン・デ・プレ教会に改葬されたのだという。
撮影: 石川雅一
デカルトの墓碑銘を中心にして、3つの銘板が並んでいた。つまり、3人の墓である。真ん中がルネ・デカルト、向かって左は、古文書学(paleography)の創始者のひとりであるジャン・マビヨン(1632~1707 D. Ioannis Mabillon)、そして向かって右が、やはり古文書学の創始者のひとりである、ベルナール・モンフォーコン(D. Bernardi.de.Montfavcon 1655~1741)である (スペルは両者とも銘板にあるまま)。
それでは、マビヨンとモンフォーコンは同じ古文書学者であるとして、デカルトとマビヨン並びにモンフォーコンとの繋がりや関連はなにかあるのだろうか?私は考えてみた。そしてすぐに思い浮かんだのが、暗号という一致点であった。古文書学は、単に古い文章を読むということではない。文字の形も意味も文法もわからない他文明の文書を読み解いていくのである。それはむしろ、暗号解読に近い。デカルト自身も、暗号で秘密ノートを残した人物であった。つまり、「暗号」というキーワードで、この三人はつながるのではないかと私は思ったのである。
「われ思う故に我あり」(Cogito, ergo sum)という言葉で誰にでも知られている哲学者デカルトだが、哲学者であると同時に偉大な数学者でもあり、また、キリスト教神秘主義の薔薇十字団と深い関係を持っていたということはあまり知られていない。
話は多少逸れるが、私が一級小型船舶操縦士免許を取ったのは大学生の時だったが、その頃はまだ船位測定(自分の船が今どこにあるかを測定すること)は双曲線航法と天測(天体の高度や方位の測定)による航法がまだ主だった。だから航行区域制限の無い(陸地の見えない場所を航行できる)一級免許を取るには、双曲線(ロラン局から発せられた2本の電波)で船の位置を割り出すやり方や、天測のための六分儀(ろくぶんぎ)の使い方まで習わなければならなかった。その後、急速に人工衛星を利用したGPS(Global Positioning System)が普及して、双曲線航法や天測の六分儀は過去のものとなった。今や自動車でもGPSがないドライブは想像できないほどに普及しているが、本書によれば、この「GPSの理論的基礎」を築いたのはデカルトだという。
「デカルトがわれわれにもたらしたのは、2、3、あるいはそれ以上の方向に延びて十文字に交差する一連の平行線から構成され、空間内の点の位置を数値的に表すためのシステム、すなわち、彼の名に由来する『デカルト座標系』だ」
このデカルト座標系の十文字の交差が「十字架」であることがゾクゾクさせられる。デカルトの数学がキリスト教神秘主義の色合いを隠し持っているところに凄みがあるのだ。つまり、デカルトにとってみれば、座標系は神の摂理だったのかもしれない。
しかも、デカルト座標系によって成立しているシステムはGPSだけではない。
「コンピュータの画面上にあるピクセルはどれも、内部的には水平座標と垂直座標という2つの数で示されている。すべてのコンピュータ技術は、デカルトの発明に頼っているのだ」
日本の歴史軸で言えば、関ケ原の合戦の前に生まれたデカルトが、これほど現代のテクノロジーの絶対的基礎を数学によって築き上げていたということは驚き以外の何物でもない。
「デカルトは今から四世紀前に、代数学と幾何学を融合させて解析幾何学をこしらえるという、現代数学理論にも通じる数学上の大きな躍進を成し遂げた」
また、さらに驚愕させられることには、デカルトが発明したのは「デカルト座標系」という功績だけではなかった。なんと、「微分積分」までもが実はデカルトが発明したというのだ。
微積分を記したデカルトの秘密ノート
「微分積分」までもが実はデカルトが発明した? どういうことだろうか。私たちは、微積分はゴットフリート・ライプニッツ(1646~1716)が発明したと教わってきたではないか?
歴史に記されていることがすべて正しい事実だというわけではない。本書にはその経緯が次のように記されている。
デカルトの遺品の中に、錬金術で用いられるような謎めいた文字で羊皮紙に書かれた手稿があった。その羊皮紙の秘密文書をデカルトの友人は秘匿していたが、その秘密の手稿を見せてくれと頼みこんできた人間がいたという。その人間が、ゴットフリート・ライプニッツだったのだ。
ライプニッツは、デカルトが書き記した遺品の秘密ノートの謎の文字を解読しながら書き写していったが、ライプニッツ自身が記したものも、書いた本人だけしか読み解けないような文章だったという。やがてデカルトの秘密ノートは失われ、ライプニッツの写しだけが残った。そして、ライプニッツは「微積分」の発明者として、ニュートンと並ぶ天才と呼び称せられるようになったのだった。
本書には、キリスト教神秘主義の薔薇十字団とデカルトとの深い関係についても述べられている。薔薇十字団は神秘的錬金術とも密接なかかわりがあり、当時の最先端のケミストリーやサイエンスと結びついていた。
『デカルトの暗号手稿』は、めくるめく事実が記されたノンフィクションである。著者のアミール・D・アクゼルはカリフォルニア大学バークレー校で数学を専攻し、オレゴン大学で統計学の博士号を取得している。本書は著者を正会員として受け入れたグッゲンハイム記念財団が、取材研究のための助成金を出して書かれた。パリのフランス国立図書館はアクゼルにデカルトと彼の秘密手稿に関するオリジナルの古文書の開示閲覧を許可した。本書はノンフィクションでありながらも、まるでミステリーを読むような手に汗握る感覚が全章にわたって流れている。
本当に素晴らしい本であり、哲学と科学に興味がある方ならば没入させられることはほぼ間違いないだろう。
『デカルトの暗号手稿』早川書房 ¥2,090-