『神曲(全)』 ダンテ・アリギエリ 著, ボッチチェリ 挿画
- 著者: ダンテ・アリギエリ 著, ボッチチェリ 挿画
- 言語: 日本語
- 出版社: 古典教養文庫
- 発行日: 2013年8月12日
- 版型: Kindle版
- 価格(税込): Kindle版:¥99-
イタリア文学の金字塔 ダンテの『神曲』
ギリシャ文化を受け継いだローマ文化の伝統を持つイタリアは、文学においてもギリシャ・ローマ文化の薫陶を深く受けている。イタリア文学においてのみならず世界の文学においても至高の地位に君臨しているダンテ・アリギエリ(1265~1321)の『神曲』も、詩人であったダンテが古代ローマの詩人や哲学者たちに傾倒して学んでいたことから、この作品にもギリシャ・ローマ文化の香りが馥郁と流れている。
イタリア語原題の”LA DIVINA COMMEDIA”は、直訳すると『神聖喜劇』であり、この題自体も古代ギリシャの演劇(「ギリシャ喜劇」)の伝統を受け継いでいる。「喜劇」とある通りハッピーエンドの物語ではあるが、壮大な叙事詩である。
本書の構成は、「地獄篇」、「浄火篇(煉獄篇)」、「天堂篇(天国篇)」の3部構成になっており、第1部「地獄篇」が34曲、第2部「浄火篇」が33曲、第3部「天堂篇」が33曲と、合計してちょうど百曲で完結となる。叙事詩であるから各曲が韻文で、3つのセンテンスでひとつのスタンザを成すいわゆる「三行連句」を連続させることによって書かれている。
ルネサンス期に書かれた『神曲』(”LA DIVINA COMMEDIA”)は、のちの世界文学に多大な影響を与えたが、日本でも多くの文学者によって翻訳されてきた。
ダンテをして『神曲』執筆に向かわせたのには、大きく二つの要素があった。ひとつは、フィレンツェで政治家をしていたダンテは、反対勢力が権力闘争で実権を握った際に、「反教皇」という無実の罪を着せられてフィレンツェを追放処分になったのだった。もうひとつは最愛の女性ベアトリーチェが二十代半ばで夭折したことが大きかった。私(書評者)は、「ベアトリーチェ」という名前が『神曲』の中で何度出てくるかを数えてみた。すると、なんと、註を除く本文中だけで、私の数えでは 61回も「ベアトリーチェ」という名前が使われていた。
古代ローマの詩人に案内されて霊界を見る
『神曲』第1部「地獄篇」の第1曲は、次のようなセンテンスから始まる。
「われ正路を失ひ、人生の羇旅半(きりょなかば)にあたりて とある暗き林のなかにありき
あゝ荒れあらびわけ入りがたきこの林のさま語ることいかに難いかな、恐れを追思にあらたにし
いたみをあたふること死に劣らじ、されどわがかしこに享けし幸(さいはひ)をあげつらはんため、わがかしこにみし凡ての事を語らん」
主人公(詩人ダンテ)は旅の途中で道に迷い、明け方近い夜の暗い森のなかで戸惑う主人公が、谷間を過ぎて山のふもとに出て星を仰ぎ見る。坂道で豹と獅子と狼が眼前に現れるが、その時、人の姿を目にする。その人は、元は人間だったが、今は違うと言い、かつてアウグストのもとでローマに住んだ詩人であると告げる。なんと、彼こそは、主人公が傾倒してきた古代ローマの詩人ヴィルジリオ(ウェルギリウス)の霊なのだった。
「われは汝の導者となりて汝を導き、こゝより之を出(しゅっ)せるなりき」
ヴィルジリオはそういうと、ダンテを導いて霊界の案内を始めたのだった。ダンテは、先だったベアトリーチェへの想いを胸に、昏い霊界へと降りてゆく。詩人はやがて霊界でベアトリーチェと再会する。
地獄、煉獄、そして天国
最初に見て回った地獄は、地球の中心近くにまで達する、漏斗状の巨大な穴だった。底を含めて9つの獄が存在していた。下層の獄に行くほど、より邪悪な罪を罰する獄となる。第9番目の地獄は「全宇宙の底」と表現されている。地獄は、とてつもなく汚く、暗く、痛く、攻撃の絶え間ない恐ろしい場所として描かれている。
ヴィルジリオに導かれた詩人は、地獄の各圏を歴訪してさらにその底へと下って、地球の中心を過ぎて南半球へと移動する。地底の暗い路をたどってやがて再び地球の裏側の地上に出た。そこは、第2の王国たる浄火の海辺だった。浄火、すなわち、救われた魂が天堂(天国)に至るまでの間、まずはその身の罪を次第に浄(きよ)める場所「煉獄」なのだった。ダンテはその浄火の場所を、南半球の孤島にそびえる美しい山にたとえて表現している。煉獄は、ニュージーランドのような場所なのだろうかと私(書評者)は想像した。
ダンテは、ベアトリーチェと共に煉獄から第一の天(天堂)へと向かう。第3部「天堂篇」の第1曲は次のようなセンテンスで始まる。
「萬物を動かす者の栄光あまねく宇宙を貫くといへどもその輝きの及ぶこと一部に多く一部に少し」
そして、天堂篇第33篇の最後のセンテンスは、次のように締めている。
「さてわが高き想像はこゝにいたりて力を缺(欠)きたり、されどわが願ひと思ひとはさながら一樣に動く輪の如く、はや愛にめぐらさる。日やそのほかのすべての星を動かす愛 に」
ダンテは、5年ほどかけて『神曲』を執筆し1921年に完成させた。そしてその直後、同年にヴェネツィアへの旅の途中で客死した。マラリアが死因ともいわれている。おそらくダンテは、「ベアトリーチェ」のもとへと旅立ったのだろうと思う。