『アフガンゲリラとの100日』 ジャン・グッドウィン 著
- 著者: ジャン・グッドウィン 著
- 出版社: 光文社
- 発行日: 1988年8月30日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 単行本: 絶版
女性ジャーナリストのアフガン戦記
本書は書名にある通り、ムジャヒディン(アフガンゲリラ)と戦場での行動を共にした女性記者のノンフィクションである。
著者のジャン・グッドウィンは元々従軍記者というわけではなく、それどころか、『レディーズ・ホーム・ジャーナル』(Ladies' Home Journal)という女性誌の編集者であった。同誌は、日本で言えば、『婦人公論』とか『婦人画報』とかに相当するような米国の女性誌であるが、創立1883年という歴史ある婦人雑誌である。同誌での彼女の仕事と言えば、ニューヨーク・マンハッタンの36階のオフィスで、ダイアナ妃のカバーストーリーに関するバッキンガム宮殿からの抗議の電話に応対したり、有名女優に独占インタビューの申し入れをしたりすることだったという。しかし、ジャンの生まれはロンドンで、若い時にはそのロンドンで暴動やテロリズムの記事を書く記者という経験もあった。ジャンがアフガニスタンに興味を持ったきっかけは、1984年に、当時「難民」としては世界一数が多いと言われたアフガン難民を取材するためにパキスタンに飛んだことだった。その年は、ソ連軍がアフガニスタンに軍事侵攻した1979年末から4年余りが経っていた。
難民キャンプには、手足をなくしたり失明した子供たちが多くいた。それはソ連軍がアフガン全土にばらまいた、きれいな色の玩具の形をした小型対人地雷によるものだと聞いて、ジャンはアフガンの戦場を実際に目にしたいと考えるようになった。
ジャンはワシントンDCのアフガニスタン解放委員会からアフガンゲリラの組織を紹介してもらい、組織が用意した5人のムジャヒディンと共にパキスタンのペシャワールから車で9時間のアフガン国境を目指した。ある地点で車を降りると、徒歩8時間でようやくアフガン側のパクティア州に入った。小さな村サーガルでは日干し煉瓦で出来た民家に泊めてもらった。
翌朝、また一行は歩を進め、やがて15台ほどのソ連軍戦車の残骸が放置されている場所で小休止した。ジャンが要を足そうと戦車の陰に入っていったところ、何かに足を引っかけて転びそうになった。それは、焼け焦げた2体のソ連兵の屍骸だった。4日間の戦地アフガニスタンでのムジャヒディンとの旅を終えてジャンは帰国するが、アメリカに帰ってから半月後に入ってきた情報は、パクティア州の小さな村サーガルで泊めてもらった民家が、ソ連軍機の爆撃を受けて家族全員が死亡したという知らせだった。ジャンは、どうしてもアフガニスタンにもう一度戻って、さらに取材をしたいと思うようになる。
2度目のアフガニスタン
1985年夏、ムジャヒディンと共に3か月間アフガニスタンを旅することが反政府勢力から許された。
ペシャワールの空港でジャンを待っていたのは、前回の短いアフガン行で同行したトールとハミドとファリードだった。
ゲリラの幹部と会ったジャンは、行先が激戦地のホストになるだろうと告げられる。パクティア州のホストは、首都カブールに通じる主要ルート上にあって、ムジャヒディンにとっても最大の物資供給路の拠点だった。ところが、国境に向かう途中でパキスタンの検問所で車を止められると、ジャンは無許可入域の罪で逮捕され、一週間も足止めを食らってしまった。ようやく釈放されてアフガン領内に入った一行は、パキスタンでの逮捕が幸運であったことを告げられた。向かっていた激戦地ホストにソ連軍の落下傘部隊が送り込まれたばかりで、もしパキスタンの検問所で逮捕されていなかったら、そのソ連軍精鋭部隊と鉢合わせをしていた筈で、今頃命を落としていた筈だというのだ。
一行はやがてソ連軍のアリシェール基地を夜陰に攻撃することになる。基地は戦車によって防御されているが、一行は険しい山路を越えて近づいていくと、丘の上からロケット砲を基地に向けて放った。すると暗闇の中のソ連軍基地から炎が上がり、ソ連軍の戦車砲による反撃の応射が始まった。
ロシア人の遺品を手にソ連への旅
ジャンは戦地アフガニスタンでの長い過酷な旅を終えると、ニューヨークへの飛行機の中で新たな決意を胸に抱いていた。ジャンのバッグには、アフガンの戦場で死んだソ連兵の遺体から見つかった35通の手紙や運転免許証やコムソモール(共産青年同盟員)証明書などが入っていた。それらの遺品をソ連の遺族のもとに届けたいとジャンは思っていた。
冷戦下の米ソ対立は峻烈で米国人のソ連への渡航は容易ではなかったが、ジャンはなんとかロシア語の通訳と共にモスクワ入りを実現した。
或る若いソ連兵の血で茶色く染まった日記帳には、ロシア語で次の文章が書かれていた。
「祖国のために戦うのは僕のつとめだ。
だから恋人よ、別れていても泣かないで、
僕にキスを送っておくれ。
ごらん、カレンダーを。
83年5月はもうすぐそこだ。
その日がくれば、僕らはコムソモールの
結婚式をあげる」
本書は、アフガンゲリラ(ムジャヒディン)の側からソ連軍侵攻後のアフガニスタン戦争を克明に記録した書である。悲惨で残酷な戦争の状況に交えて、ムジャヒディンたちの純粋な信仰心とシャイで時に見せる笑顔も描写されている。そして、冷酷非情に村を爆撃し機銃掃射で人々を殺すソ連軍の暴虐を描く一方で、その戦場に遠い故郷から動員されてきて死んでいったソ連兵たちの悲しみも共に描いている。素晴らしいノンフィクションだと思う。