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英軍指導者の思考の柔軟性をカタファイターに見る

2020年9月27日

"CATAFIGHTERS The Merchant Aircraft Carriers" (「カタファイター  商船空母」)  Kenneth Poolman

  • 著者: Kenneth Poolman
  • 出版社: WILLIAM KIMBER
  • 発行日: 1970年
  • 版型: 単行本
  • 価格(税込): 絶版

 

「カタファイター」とは何なのか

前回、英国から『政治用語集』を取り寄せたことに触れたので、今回は、以前、英国から「超々稀覯本(めったにない珍しい本)」とでもいうべき本を取り寄せた件をご紹介する。その書名は"CATAFIGHTERS The Merchant Aircraft Carriers" (「カタファイター  商船空母」)である。この本は本当に珍しい本で、私がこの出物を買って以来、古書店からの同書の出品は、英国Amazon.co.ukでも米国Amazon.comでも長らく一切途絶えている。きわめてマニアックな本なので、もともと半世紀前に出版された部数もかなり少なかっただろうし、こういう古書との出会いはやはり一種のご縁なのだろうと思う。

「カタファイター」という言葉をご存じの方は、まずおられないと思う。私自身も知らなかった。たとえ軍事問題の専門家でもこの言葉を知らない日本人は多いのではあるまいか。

"CATAFIGHTER"とは、カタパルト(射出機)とファイター(戦闘機)という二つの言葉から成る造語である。一体これは何なのか?

もちろん、以上の二つの言葉を申せば分かる通り、カタパルトで戦闘機を飛ばす仕組みなのであるが、旧日本帝国海軍でも戦闘機や偵察機を飛ばすカタパルトを載せた艦艇は少なからず存在した。巡洋艦クラスでもカタパルトを載せた船は結構あったし、戦艦大和も2基のカタパルトを艦尾に載せていた。また、伊四百型は、潜水艦であるにもかかわらず戦闘爆撃機を飛ばせるカタパルトを載せていた。しかし、英国の場合は、まったく事情が異なる。なんと、英国は、戦闘機を飛ばすカタパルトを”Merchant ships”、すなわち、商船に載せたのであった。

 

英仏海峡と大西洋での戦い

ナチスドイツはフランス進駐後、四発エンジンを積んだ長距離爆撃機のフォッケウルフ200Cをフランスの空港に前進配備した。それで、ナチスドイツは英仏海峡を航行するイギリス船とイギリス東岸の港を爆撃できるようになった。

 ドイツの四発長距離爆撃機フォッケウルフ200C

 

本書によれば、第二次大戦当時、英国の港からは毎月2百万総トンを超える船舶輸送を行っていたという。それらの船舶輸送のほとんどは護送船団方式で輸送船をまとめて一挙に航行させるというやり方をとっていたが、単独航行の場合はもちろんのこと、そうした大船団を組んでの海上輸送であってさえも、同航して護送する軍艦はきわめて少ない数しか割り当てることができなかった。たとえ割り当てられた駆逐艦でも、非常に貧弱で少数の対空機関砲しか積んでなかった。

ナチスドイツのフォッケウルフ200Cは4つのエンジンプロペラを持ち、長距離を飛行してきて英国の商船や駆逐艦に対して低空で進入してきて水平爆撃を行っていた。1機で4発の爆弾を積んでいて、だいたいこの4発のうちの1発は船舶に当たるという命中率で、英国の商船隊と駆逐艦には甚大な被害が出ていた。1940年の8月と9月だけで、フォッケウルフ200Cは9万トンの英国船舶を沈めたのだという。英国が当初取った対抗策は、英国船団の航行ルートをできるだけ西に迂回させ、イギリスの沿岸に設置されていた大砲を取り外して商船に載せたりした。また、手りゅう弾にケーブルとパラシュートを付けて射出する装置を作る奇策も編み出した。ドイツ機が低空で攻撃してきたときにこのワイヤー付き手りゅう弾を射出すると、パラシュートが開いて滞空してワイヤーがドイツ機の翼に絡みつく。そしてやがてその手りゅう弾が爆発するという奇策だった。

 

英国の柔軟な発想

当時、英国の貴重かつ数少ない航空母艦はジブラルタル海峡や地中海方面の守備に回っていて、商船隊の護衛に空母をつける余裕はとてもなかった。そこで、英国海軍のスラッタリー大佐は、次のような2つの新奇な方策を考案した。

  1.  商船にカタパルトを積載する。
  2.  商船にごくごく簡便なフライトデッキ(飛行甲板)を設置する。

 

 1万トン程度の貨物船の船首にカタパルトを積んで戦闘機を載せてある。

 

 商船の船首のカタパルトから射出された戦闘機ハリケーン

 

几帳面な日本人だったなら、船にカタパルトを付けたとしたら、必ずフロート付きの水上戦闘機をカタパルトに載せることを考えるだろう。実際、旧日本海軍の軍艦につけられたカタパルトには必ずと言ってよいほどにフロート付きの水上戦闘機が載っている。カタパルトで射出したあとにその戦闘機を回収するには、海にフロートで着水してからクレーンで回収する必要があるからである。

英国人の発想は違う。フロート無しの戦闘機をカタパルトに載せたのだ。これにはメリットとデメリットのアンビバレンス(両価性)が存在する。フロート無しの戦闘機をカタパルトに載せるメリットは以下の通りだ。

  • フロートを付けた特殊な戦闘機を作らずに、今ある資源をすぐに流用できる。
  • フロートを付けると速度や操縦性がかなり犠牲になるが、フロート無しならば現行戦闘機の性能がフルに出せる。
  • フロートを付けた戦闘機よりもフロート無しの戦闘機のほうが軽くてシンプルなのでカタパルト射出がより容易である。

一方で、フロート無しの戦闘機をカタパルトに載せることのデメリットもかなり大きい。当然、それは以下のデメリットである。

  • フロート無しの戦闘機は、カタパルトから射出したあとで回収できない。つまり、その戦闘機は使い捨てとなる。

英国人は迷わず、フロート無しの戦闘機をカタパルトに載せることを選択した。メリットとデメリットを勘案した結果である。そもそも、速度と運動性が鈍るフロート付きの戦闘機だと、ドイツの爆撃機にも対空機関銃がいくつか搭載されているために、敵爆撃機を撃墜するという任務自体が困難になるかもしれない。しかし、こうした発想の柔軟性は、日本人の固い発想では真似できないかもしれない。

フロート無しの戦闘機は、敵機発見の報を受けると操縦士が乗り込んで射出される。そして、敵爆撃機を撃墜するという任務遂行の後には、操縦士はコックピットから飛び出してパラシュートで海上に降下する。操縦士のいなくなったその愛機は海へと墜落する。パラシュートで海上に降りた操縦士は救命胴衣で波間に浮かび、船団のうちの一船に無事回収救助されるという仕組みである。

カタパルトの作動方式には、スプリング式、空気式、火薬式、そして現在の米国空母の蒸気式や電磁式があるが、本書の写真を見ると射出時に火が噴出しているので「カタファイター」では火薬式のカタパルトだったようである。

 

商船に飛行甲板を付けた簡易空母

本書には、商船を改造してフライトデッキ(飛行甲板)を付けた、「軽空母」というよりも、さらに小さな「簡易空母」とでも呼びたくなるような「商船空母」についても詳述されている。

その商船空母でも、英国人の柔軟な発想が見て取れる。つまり、どういうことかというと、商船を改造してごくごく簡便な飛行甲板をつけたような小さな航空母艦だと、滑走路がとても短くて、速度の速い戦闘機だと離着艦が困難、と言うか、ほとんど不可能なのである。とても短い飛行甲板で運用する航空機には、STOL(ショート・テイクオフ & ランディング)性能が要求される。英国人はそこでどんな航空機をこの商船空母で用いたのか?

答えは、旧式の複葉機である。翼が二枚重ねてある、あの第一次世界大戦当時からある速度の遅い二枚羽根の戦闘機である。複葉機なら速度が遅く短い距離で離着陸が可能なので、短い飛行甲板しか持たない商船空母にぴったりなのである。もちろん理論的にはそうなのであるが、日本人にはこの柔軟な発想も真似できないだろうと思う。そもそも複葉機では敵機と戦闘すらできないとして旧日本帝国海軍軍人だったなら即座にこの案を却下しただろうと思う。

  穀物運搬船を改造した商船空母のコンセプト図

 

この商船空母の飛行甲板はたった422フィート(128メートル)しかない。たとえば、旧日本海軍の航空母艦 加賀の飛行甲板は248メートルなので、加賀の半分程度の長さしかない。英国は、このきわめて短い飛行甲板に短距離離着陸が可能な複葉機ソードフィッシュを載せて運用していた。この旧式きわまりない複葉機を載せた商船空母が、のちに赫赫たる戦果をあげることになったのだ。また、上空からのドイツ潜水艦Uボートの監視とそれへの攻撃にも大活躍した。

 

船団護衛で勝った英国と負けた日本

英国は、ドイツ軍の長距離爆撃機と、そののちにUボート(潜水艦)の群狼戦術による攻撃で、一時は窒息されかかったが、粘り強くそれに対抗策を打ち出し続けて自国船隊を守り続けた。

一方、太平洋では、米国は、大西洋におけるドイツの戦略「潜水艦による通商破壊戦略」を真似て、米国潜水艦によって、ひ弱な日本の商船ばかりを集中的に攻撃したが、日本商船隊の被害の増大という報告にもかかわらず、日本の大本営は、対潜水艦戦や自国商船隊の保護にまったくと言って良いほど力を注がなかった。このことは、旧帝国海軍で海上護衛総司令部参謀を務めて困難なシーレーン確保の最前線に立っていた大井篤(元提督)著の『海上護衛戦』に詳しい。

開戦時に日本が保有していた商船団の総トン数は630万トンだった。それが、昭和16年12月の開戦から昭和20年8月の終戦までに米国潜水艦によって撃沈された日本の商船は合計1150隻、総トン数で485万トンという信じがたい被害に上った。この数字には、米国潜水艦によって撃沈された日本海軍艦艇のトン数は含まれてはいない。あくまでも商船だけの総トン数でその膨大な数量となったのである。こうして大日本帝国は、自らの商船隊の消失によって窒息させられたのであった。

英国人の柔軟な発想と戦略的な思考法、そして、自国商船隊を守り抜くという強い意志には、感服させられる。日本はそれを学び続けなければならないと私には思える。

 

 

超名著が文庫本で復刻! 旧帝国海軍で海上護衛総司令部参謀を務めた大井篤 著の『海上護衛戦』

 

シーレーンは日本の血道

 

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石川 雅一

石川 雅一

 東証ペンクラブ 会員。学校法人評議員。 元日本放送協会で国際報道に従事。アフガニスタン内戦、カシミール内戦、パンチャヤト大暴動( ネパール)、湾岸戦争、アメリカ航空宇宙局(NASA)、国連安全保障理事会、ニューヨーク市警、米国核廃棄物、ロスアラモス国立研究所、米国海軍、米加漁業紛争、京都の歴史文化伝統産業などを取材。国際機関アジア太平洋放送開発機構講師(JICA専門家)としてクアラルンプールでアジア各国の放送局のジャーナリストを育成指導。金融市場分析のテクニカルアナリストとして日本の全産業三千数百社の上場企業のテクニカル分析をダイヤモンド社で三季にわたって完遂。  早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程中途退学。早稲田大学大学院商学研究科専門職学位課程修士(研究科長賞受賞)。MBA( Le Cordon Bleu; Global Service Business, WBS)。Certified Financial Technician(CFTe Ⅱ)。 一級小型船舶操縦士、剣道初段、趣味は能楽。

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