『吸血鬼カーミラ』 レ・ファニュ 著, 平井呈一郎 訳
- 著者: レ・ファニュ 著, 平井呈一郎 訳
- 出版社: 東京創元社
- 発行日: 1970年4月10日
- 版型: 文庫本(創元推理文庫)
- 価格(税込): 文庫:880円 (現行版は装丁が異なる)
疫病と吸血鬼の共通点
最近のコロナウイルスの蔓延をみて、疫病に対する死の恐怖の擬人化が「吸血鬼」だったのではないかと思う。
人の命を奪う吸血鬼の物語の由来については、たとえば、ブラム・ストーカー(Abraham Stoker, 1847年~1912年)の小説『吸血鬼ドラキュラ』のモチーフは、15世紀のワラキア公国の君主で串刺し刑罰を行ったヴラド・ツェペシュとされているが、夜ごと墓から蘇り人の血を吸って命を奪う吸血鬼の物語というのは、人間が疫病に対して持つ死の恐怖が、姿の見えない疫病を擬人化させたものではないかと私には思えるのである。
テレビニュースで流された、イタリアの教会にずらりと並べられたコロナウイルスで亡くなられた方々の棺桶の映像などは、まさしく「吸血鬼」の世界そのものではないかとも思えた。
本書でも、幽霊(吸血鬼)と疫病との連想を次のように記している。
「あの娘は二週間まえに、幽霊を見たんですって。それからからだの調子がへんになって、とうとうきのう亡くなったんですの」
・・・・・・
「疫病か熱病でも、はやらなければいいわね。なんだかはやりそうだわ。豚番の若いおかみさんが、つい一週間ばかり前に亡くなったのよ。なんでも夜寝ていたら、なにかに咽喉をしめられたような気がして、息の根が止まりそうになったんですって。パパのおっしゃるには、そういう幻想はあとで熱病みたいなものを引きおこすんですって。前の日まではピンピンしていたんだけど、そのことがあってから、きゅうに元気がなくなって、一週間前にとうとう亡くなったんです」
『ドラキュラ』以前の小説『カーミラ』
私が令嬢吸血鬼の物語である小説『吸血鬼カーミラ』を知ったのは、実は、これを映画化した作品を見てからの事だった。
その映画は、鬼才と言われたロジェ・バディムが監督した「血とバラ」だった。
映画鑑賞で深い感銘を受けて原作を読みたくなった。なぜ深い感銘を受けたかというと、他のよくあるホラー映画のように観客を怖がらせようとする映画ではなかったからである。恐ろしいどころか、全編に漂う耽美的雰囲気とヒロインら女優たちの気高い美しさから目を離せなくなった。
映画についてはあとで話すが、まずは原作について述べたい。
原作について調べてみると、アイルランドの作家ジョゼフ・トーマス・シェリダン・レ・ファニュ(Joseph Thomas Sheridan Le Fanu, 1814年~1873年)が書いた作品だとわかった。
幾つか驚くことがあった。ひとつは、レ・ファニュの小説『吸血鬼カーミラ』("Carmilla", 1872年)は、かの有名な、ブラム・ストーカー(Abraham Stoker, 1847年~1912年)の小説『吸血鬼ドラキュラ』("Dracula", 1897年)よりも25年前に先に書かれた作品であったということ、レ・ファニュは、19世紀における幽霊物語(ghost story)の先達とされているということ、もうひとつは、英国ヴィクトリア朝を代表する作家チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(1812年~1870年)が、同時代のレ・ファニュの作品を「天下の奇書」と激賞していたということだった。
レ・ファニュもブラム・ストーカーも、どちらもアイルランド人であるというのが面白い。やはり、ケルト文化の奥深い神秘性が影響しているのだろうと私には思える。
原著は"CARMILLA AND OTHER STORIES"となっていて、1839年に7編の小説をまとめて一冊にしたものである。386ページの本書のなかには、次のような小説が並んでいる。本のタイトルになっている中心作品である『吸血鬼カーミラ』は締めとなっている。
- 白い手の怪
- 墓掘りクルックの死
- シャルケン画伯
- 大地主トビーの遺言
- 仇魔
- 判事ハーボットル氏
- 吸血鬼カーミラ
吸血鬼が嫌うもの
吸血鬼が嫌うものは十字架、聖書、聖水だということは、人々に知られているが、オーストリアの古城を舞台とする本書でも、それは描かれている。
- 令嬢カーミラが載ってきた馬車の馬は、城の跳ね橋の前で、道の片側にある古びた石の十字架を見るとそれを避けるかのようにいきなり反対側の菩提樹の根元に車輪を乗り上げて馬車は転倒してしまった。
- 葬式の列が歌う讃美歌が聞えると、令嬢カーミラは顔色が土気色に変わり、ガタガタ身震いが止まらずもだえ苦しむ。
「わたくし、なんだかあれを聞いたら、気持ち悪くなってきたわ。ねえ、ここへお坐りなさいよ。わたくしのそばへ。そして手を握ってちょうだい。ぎゅっと、──ぎゅっと──もっとぎゅっとよ」
「ああ、あすこへ来る。・・・・・・賛美歌を歌う人たちが来るわ! わたくしをおさえていてよ! じっとおさえていてよ。・・・・・・ああ、だんだん向こうのほうへ行くわね」
鬼才ロジェ・バディムが映画化
レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』は、フランス人の映画監督ロジェ・ヴァディム(1928年~2000年)によって映画化された。
ロジェ・ヴァディムの名前を知らないという人でも、彼の妻や恋人となった3人の以下の女優の名前なら少しは知っているだろう。
- アネット・ストロイベリ(アネット・ヴァディム)
- カトリーヌ・ドヌーヴ
- ジェーン・フォンダ
ロジェ・ヴァディムは、レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』を基に1960年に、フランスとイタリアの合作として映画化した。ヒロインには結婚したアネット・ストロイベリ(アネット・バディム)をあてた。
映画のフランス語名は"Et mourir de plaisir"(「そして悦楽に死す」)で、英語圏での題名は"Blood and Roses"、日本ではこれを和訳して『血とバラ』という題名になった。
原作の舞台はオーストリアの古城だが、映画の舞台はイタリアの名門カーンスタイン伯爵家の屋敷となっている。
この映画にホラー映画の恐ろしさを求めたら幻滅すると思われるが、もしも耽美的な映画がお好きな方だったならば、お気に入りに加えられるかもしれないと私は思う。
ただ、米国のAmazon.comではprime videoの作品群の中に"Blood and Roses"が見つかったのだが、日本のアマゾンのプライムビデオでは"Blood and Roses"も『血とバラ』で検索しても見当たらなかった。"Blood and Roses"のDVDはアマゾンで見たら1万2千円以上の高値なので、日本でのこの映画の鑑賞は少し難度が高いかもしれない。
ホラー的要素に関しては、小説も映画と同じで恐怖感はあまり無い。19世紀、同じ時代の文豪ディケンズが絶賛したという小説だけに、文学的な価値は高いと思う。
(創元推理文庫) 文庫本
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