『お経の話』 渡辺照宏 著
- 著者: 渡辺照宏 著
- 出版社: 岩波書店
- 発行日: 1967年6月20日
- 版型: 新書版
- 価格(税込): 新書版: 880円
仏陀の説教がどのように種々のお経へ派生したか
本書著者の渡辺照宏(1907~1977)は東京帝国大学大学院を修了した仏教学者である。そもそもの出自は、成田山東京別院深川不動尊で、寺の子として生まれたのだという。
著者のきわめて広範な視野は、本書でも明らかである。
私たちがふだん「お経(きょう)」と呼んでいる仏教経典は、日本では各宗派によって異なっている。或る宗派は『法華経』のみを尊び、別の宗派は『浄土三部経』のみを崇める。各宗派に「共通」するお経というものは存在しなかったと著者は言う。
それでは『般若心経』は? と思ったが、戦時中に各宗が連合して合同法要を営もうとしたが、一緒に読めるお経がなかったため、『般若心経』がその合同共通のお経として選ばれたのだという。私はこの事実を読んでとても驚いた。『般若心経』はもっと古くより遍在的なお経だと信じ込んでいたからである。まさか、戦時下の国防国策体制の指針によって『般若心経』がすべての宗派の共通経典にされようと試みられたとは想像もしなかったのだ。
いずれにせよ、それぞれの数多くの経典は、中国から漢文の形で日本へと輸入されたものである。
サンスクリット語から中国語に翻訳された経典
仏教はインドで開創されたので、インドでサンスクリット(古代インド・アーリア語系言語)で書かれた膨大な仏教経典は、2世紀ごろから中国で次々に漢訳されたという。中国人は、それらの多くの経典はすべてブッダの口から出た言葉をうつしとったものだと信じ切っていたが、それぞれの経典を照らし合わせてみると、矛盾点があったりした。
仏陀は聴衆の能力に応じてそれぞれにふさわしい教えをわかりやすく説いていたのだから、説法の内容に高低の程度の差があったのも当然であると、渡辺は言う。
はじめに仏陀の彼自身の言葉による民衆への説法があった。その言葉の数々が、仏陀の入滅の前後に盛んに書写されて、いわゆる「原始経典」となった。これらの複数の「原始経典」はやがてまっぷたつに方向が分かれていき、「大衆部」系と「上座部」系とに分裂していった。さらにそれぞれの系列から様々な派生形が生まれていったと考えられているのである。
「大衆部」系と、「上座部」系は、それぞれ、「大乗仏教」と「小乗仏教」に相当すると考えがちだが、そんなに単純ではないと著者は言う。もちろん「大衆部」が「大乗仏教」と関係があることについては多くの学者によって指摘されてきたというが、この点についてはなお考慮すべき問題が多く、本書(新書版)ではそれを論ずる余裕はないとしている。
また、「大乗」(マハーヤーナ)は「偉大な乗りもの」、「小乗」(ヒーナヤーナ)は「いやしい乗りもの」という意味であって、そもそもこの言葉は大乗の人々がつけた名前なので、少なくとも「小乗」という言葉に関しては、「部派仏教」とか、「分別説部」などと呼ぶ方が「穏当(おんとう)」であると著者は書いてある。
実は、私(書評者)は、1998年に京都で開催された「第1回佛教サミット」を取材したことがあり、出席していた第14世ダライ・ラマ法王猊下も目の前で拝見したこともある。この時に英語で「ヒーナヤーナ」という言葉を使った発言がその前にあったことに対して、「ヒーナヤーナという言葉は侮蔑的な言葉なので使わないでいただきたい」と、ひとりの海外からの僧侶がマイクで英語で提言していたことが忘れられない。
大乗経典の個別説明
本書の章立ては第一部と第二部とにわかれており、第一部では、お経がどのようにできてきたかということを主に話し、第二部では、大乗仏教における様々なお経(経典)を簡略に説明している。それらの経典は次の通りである。
- 般若経
- 華厳経
- 維摩経
- 勝鬘経
- 法華経
- 浄土教経典
- 密教経典
本書は新書版としては、ありえないほど広範な内容を盛り込んだ本である。確かに、第二部の各大乗経典の説明でそれぞれのお経を各10ページほどで説明するのはきびしい感じは否めないが、こういうことができたのも、著者の渡辺照宏の広範かつ深甚な研究があったからこそだと思う。
どれかひとつのお経を読み込む前に、こういう本で全体像をつかんでおくというのが本当は順当なようにも思える。
『お経の話』 (岩波新書) 新書版