『仏像の誕生』 高田 修 著
- 著者: 高田 修 著
- 出版社: 岩波書店
- 発行日: 1987年10月20日
- 版型: 新書版
- 価格(税込): 絶版
仏像は いつ どこで どのように生まれたのか
岩波新書としては、異例なほどに写真図版が多い。本書は美術史のひとつのジャンルとしての仏教美術の本なのだから、それを考えれば当然のことなのだが、仏像好きとしてはありがたい限りである。そして、それらの白黒写真の多くは、ガンダーラ美術とマトゥラー美術の仏像の写真である。
仏像はいつ、どこで、どのように生まれたのかということを考えれば、最も古いガンダーラ仏に行きつくのは当然かもしれない。でも、ガンダーラ美術で仏像が作られる前は、釈尊の姿が描かれることがなかったという。釈尊を人々が取り囲む石彫レリーフが作られたときにも、真ん中の釈尊の姿は消されて、無人の場所のみが描かれたのである。仏像は、釈尊の時代から数世紀のちまでも全く作られた形跡が見当たらず、仏を主役とするはずの仏伝図(釈尊の誕生から涅槃までの事績伝説を表現した図)においてさえ、その主役たる釈尊の姿かたちが描かれてはおらず、無人の場所を周囲の人間が取り囲み拝むような形で描かれていたのである。つまり、この時代においては、主役(釈尊)の形を表す(描く)のはタブーであったことが明らかになってきたという。
まるで、「偶像崇拝」が初期仏教では禁じられていたかのようにも私(書評者)には感じられた。
ところが、のちのクシャーン時代には、ガンダーラ美術とマトゥラー美術というふたつの派の美術では、釈尊の姿がバンバン彫刻されて登場するのである。ガンダーラ美術とマトゥラー美術とは、美術表現が明らかに異なるものの、両者はほぼ同時期に始まったらしいという。したがって、仏像がいつどこで作られたかという問いに対しての答えは、ガンダーラ美術とマトゥラー美術の時代と場所ということになる。また、ガンダーラ美術が生まれたのは、紀元前50年頃とされており、その後数百年にわたってガンダーラ美術は隆盛したと言われている。
仏像が無かった時代、仏教徒は何を拝んでいたのか
古代の初期仏教には仏像は存在しなかった。無人の岩窟を拝んだりする周囲の人々の石彫はあったりしたが、釈尊本人の仏像はなかったのである。それでは、いったい、古代の初期仏教の人々は何を拝んでいたのであろうか。仏像がなかった時代の初期仏教徒たちは、仏塔(ストゥーパ)を拝んでいたという。ストゥーパは釈尊の遺骨の一部分(仏舎利)をおさめた塔だった。仏塔に次いで多く崇拝されたものは、「聖樹」だったという。「聖樹」には樹神が宿り、礼拝すると現世利益が得られると考えられていたようだが、特に神聖と見られていた樹は、釈尊がその樹下で悟りを得た菩提樹だったという。
なぜ初期仏教においては、釈尊を描いた仏像が作られなかったのかという点に関しては、その理由を古い経典に求めようという研究も多くあったという。たとえば、古い経典の『ディーガニカーヤ』の「梵網経」には、次のように書いてあるという。
「如来の身は生に導くものが断ち切られた状態にあり、この身の存する限りは人々も神々も見ることができるが、身がこわれ命が尽きたのちには見ることができない」
永久の滅、つまり涅槃に入ってしまった仏は、もはや誰も見ることができないということで、この文を根拠として当時の石工たちが「見えない仏」を描かず、むしろ見えないものとして石を削ったのではないかという。この論によるならば、誰もいない場所に向かって周囲で祈る人々のレリーフの理由がよくわかるのである。
ガンダーラとマトゥラー
古代初期にあたるインドの初期仏教では仏像がつくられなかったが、古代中期にあたるクシャーン時代に入ると、ガンダーラ美術とマトゥラー美術で盛んに仏像が作られるようになる。
ガンダーラ美術が栄えたのは、今のパキスタン北部とアフガニスタンの一部である。私はアフガニスタンには取材で2度行ったことがあるが、そのころは旧ソ連軍が撤退したあとで、社会主義のナジブラ政権下で、まだガンダーラ美術の仏像は見ることができた。ところが、その後、イスラム原理主義のタリバンが首都カブールを陥落させると、ありとあらゆる仏像は偶像崇拝だとして破壊されてしまった。この頃の仏像破壊は、おそらく、日本の明治維新直後の廃仏毀釈による仏像破壊に匹敵する惨劇だったと私は考えている。
現在のアフガニスタンとパキスタン北部に相当するガンダーラの地は東西交通の要衝で、紀元前4世紀のアレキサンダー大王が通った道でもあった。だから当然、ギリシアのヘレニズム美術の影響を色濃く受けた。ガンダーラ美術の仏像のお顔立ちがほりが深い西洋風の顔立ちなのは、このためである。
一方、マトゥラー美術は、インド北部のウッタル・プラデーシュ州あたりで作られた。ギリシア美術の影響を強く受けたガンダーラ美術とは異なって、マトゥラー美術はより土俗的でインド美術の様相が強く出ている。
本書は、仏像好きな人間にとってはたまらない本である。このような名著は絶版のままにせず、Kindle版で復刊することが出版社の社会的責任ではないかと思われる。