"A BOOK OF FIVE RINGS" Miyamoto Musashi
- 著者: 宮本武蔵
- 言語: 英語
- 出版社: Spastic Cat Press, Amazon Services International, Inc.
- 発行日: 2009年(Kindleの版により異なる。ちなみに宮本武蔵の擱筆は1645年とされる。)
- 版型: Kindle版
- 価格(税込): Kindle版 版によって価格は異なる。
宮本武蔵の『五輪書』が米国でベストセラー化した理由
剣豪 宮本武蔵の書『五輪書(ごりんのしょ)』が1980年代に米国でベストセラーになっていた。当時、1982年3月14日のニューヨークタイムズ(NYT)の新聞記事は次のように書いている。
「"The warrior's art"(戦士の技法)の著者は、まもなくベストセラー作家のひとりになりそうだ。この著者とは、16世紀から17世紀にかけて生きた日本のサムライであり、彼は30歳になるまでに60回の決闘で全ての敵を倒した。そして山の洞窟にこもって剣道の哲学を形成し、”Go Rin No Sho”(『五輪書』)と呼ばれる本を執筆したのだ。事実、この本の英語翻訳本:"A Book of Five Rings"($12.95-)は、1974年以来、ハードカバーで11万部を売り上げてきたが、この本のペーパーバックス(ソフトカバー)版が$5.95-の価格で10万部が今週発売されることになった」
記事は、「それにしても、三世紀以上も前に死んだ日本人の本が、どのようにして現在のアメリカでベストセラーリストにあがるようなことが起きているのだろうか?」と言うであろう読者の疑念を想像して次のように続けている。
記事によると、宮本武蔵という歴史上傑出したサムライの存在が西洋世界に知られるようになったのは、1970年代に大英博物館の学芸員ヴィクター・ハリスが『五輪書』を英語に翻訳して以降のことだという。アルフレッド・メイヤーとピーター・メイヤーという父子がニューヨークで「Overlook Press」という小さな出版社を立ち上げ、ヴィクター・ハリスによる英訳書のアメリカ合衆国における版権を買って最初に出版する本のリストに加えた。この”Go Rin No Sho”『五輪書』の出版は、武道愛好家といったごく小さな市場を狙って最初は少部数で発刊されていたのだったが、出版社の予想を超えて人気は徐々に広がっていったという。この出版社は、"Shogun"(「将軍」)や"The Ninja"(「忍者」)といった日本のサムライものを出版リストに加えると、そちらのほうも1981年に大ベストセラーに成長した。
ビジネスマン向けの宣伝
ジョージ・ロイスというニューヨークの広告会社の重役が日本を訪れた際に、この『五輪書』の英訳本を日本のある企業に持ち込んで知らせると、そのことを広告専門誌に次のような文句と共に掲載した。
「日本のアントレプレナー(起業家)たちは、ハーバード・ビジネススクールのようなところで養成されるのではない。その代わりに、彼らは『五輪書』という神秘的な古典を学び、それを仕事で実践しているのだ」
こういう風にロイスはぶち上げて、米国版"A Book of Five Rings"に「Z理論」、「日本式経営の技術」といった箔をつけて宣伝したのだった。
しかし、さすがにニューヨークタイムズとなると、こういう宣伝技法にすぐには乗らずに釘を刺しながらも、次のようにコメントしている。
「しかしながら、米国人ビジネスマンは『五輪書』を単にビジネス戦士が取締役室で使う戦略のノウハウ本だと思ってこの書に手を伸ばすべきではない。この本は、禅と神道と儒教に裏付けられた哲学的書物なのだ」
釘を刺したつもりが、かえってブームを盛り上げてしまったのかもしれない。その後、『五輪書』は米国で大ベストセラーになった。
結局、三世紀以上も昔の日本の剣豪が書いた本が合衆国でベストセラーになった背景には、1980年頃の日本企業の世界経済への躍進と米国市場への目覚ましい進出があった。米国人は、一時は戦争に負けて三流国以下に没落した筈の日本が、なぜここまで復活して大健闘しているのか、その理由を知りたくてうずうずしていた時代だったのだろうと私には思える。
五輪書の英訳
『五輪書』の「五輪」とは、寺院に行くと必ずある五輪塔の「五輪」である。墓石もよく観察すると五段(五輪)になっている。その五段は、「基礎・竿・中台・請花・塔身」という5つの部分に分かれるという。三段や四段の墓石もあるが、四段のものは何とか五段(五輪)にするために墓石の最上部にはわずかな出っ張りが作ってあったりする。仏教において「五輪」は、万物を構成する5つの要素(五大要素)のことで、"The Book of Five Rings"では、次のように英訳されている。
- 地(ち): THE GROUND BOOK
- 水(すい): THE WATER BOOK
- 火(か): THE FIRE BOOK
- 風(ふう): THE WIND BOOK
- 空(くう): THE BOOK OF THE VOID
これらの英訳のなかでも、「空(くう)」を"VOID"と訳しているのに、私は特に興味をひかれた。
実際に、「空」のところがどのように訳されているのか、一文を以下に引いてみる。
<原文>
「空(くう)といふ心は、物毎(ものごと)のなき所、
しれざる事を空と見たつる也。
もちろん空はなきなり。
ある所をしりてなき所をしる、
これすなわち空也。」
<英訳文>
"What is called spirit of the void is where there is nothing.
It is not included in man's knowledge.
Of course the void is nothingness.
By knowing things that exist, you can know that which does not exist.
That is the void."
日本の古典を英語で読むと、違った視点から理詰めで説明されるため、実に興味深く 面白い。
『五輪書』も然(しか)りであると、私には思えた。