『FREEDOM FROM FEAR』 AUNG SAN SUU KYI
- 著者: AUNG SAN SUU KYI (アウンサン・スーチー)
- 出版社: PENGUIN BOOK
- 言語: 英語
- 発行日: 1991年
- 版型: Paperback
- 価格(税込): 単行本: 絶版
”Boh”という言葉の本当の意味
前々回、「アウンサンスーチーの栄光と汚辱 その1」では、スーチーの父親アウンサン将軍が大日本帝国陸軍の「南機関」という特務機関によって南シナ海の海南島で養成されたビルマ独立の志士であったことに触れ、大戦末期の1945年6月にアウンサン将軍の娘として生まれたスーチーの来歴について述べた。
前回、「アウンサンスーチーの栄光と汚辱 その2」では、栄光と汚辱の意味と、スーチーのエッセイ集である本書の概要について触れた。
今回、「アウンサンスーチーの栄光と汚辱 その3」では、スーチー自身のエッセイの内容に軽く触れたい。
まず、「"Boh"という言葉の本当の意味(The True Meaning of Boh)」(pp186~191)というエッセイについて触れる。
アウンサンスーチーによれば、ミャンマー語の"Boh"という言葉は英語にすると"army lieutenant"という意味があるという。
"army lieutenant"の位階については「大尉」とか「中尉」とか「副官」とか、各国の軍制によって微妙に異なる。よって、大まかに言えば、「陸軍将校」または、「陸軍士官」と、大まかな語(包括的な語)として訳すのが軍制が正確に判明しない場合においては適当だろう。
しかしながら、ビルマでは"Boh"は、単に"any military officer"(士官)という意味を超えて、"commander"(指揮官)や"leader"(指導者)という意味とも一般には考えられているとスーチーは述べている。
この書評の「その1」で、私は、「南機関による志士養成課程を修了したアウンサンは、タイ王国の首都バンコクに入ってビルマ独立義勇軍を創設し、日本軍と共闘して1942年3月に首都ラングーン(現ヤンゴン)から英国軍を排除することに成功した。」と述べたが、
このエッセイでも、スーチーは次のように述べている。
"It was in that sense that the word was applied to officers of the fledgling Burma Independence Army when it first made its appearance on Burmese soil in 1942, vibrant with the hopes of a country poised to realize its dream of freedom."
つまり、日本軍の支援でタイ王国の首都バンコクで創立され、日本軍と共闘して1942年に首都ラングーン(現ヤンゴン)から一旦は英国軍を排除することに成功したビルマ独立義勇軍は、自由の夢を実現するという望みでワクワクする(vibrant)思いで迎え入れられ、その思いがこの"Boh"という言葉に乗っかって、以後今日に至っているとスーチーは言っているのである。
ただ、スーチー自身は、ビルマ独立義勇軍が「ビルマの地(Burmese soil)」を踏んだ1942年のわずか3年後に生まれたので、幼な過ぎて知らなかったのか、もしくはあえて伏せて触れないようにしたのか、そのビルマ独立義勇軍を支援していた日本の存在には一切触れてはいない。それどころか、再来した英国統治とのアウンサン将軍の反日レジスタンス運動("resistance movement against the Japanese and when negotiations with the re-established British administration")にも触れている。
たった2歳で父アウンサンを暗殺で亡くした娘は、父の胸の奥底の真意までは知ることはなかったのではなかろうかと、少なくとも私には思える。
陸軍将校への賛歌
いずれにせよ、そのような国家独立への夢を実現した"Boh"(陸軍将校)への民衆の熱情はさめやらなかった。そして、"Boh"という言葉の先頭に立っていたのがアウンサン将軍だった。アウンサン将軍を褒めたたえる詩や歌が生まれた。スーチーはその例を以下のように挙げている。
Parents of Burma
You must give birth to heroes
Like Boh Aung San・・・
He will make history
His deeds will be recorded in annals
The noble Boh Aung San.
<拙訳>
ビルマを生みし親たちは
英雄に魂を与えしか
アウンサンもしかり
彼は歴史をつくるであろう
彼の偉勲は年代記に刻まれよう
気高き将軍 アウンサン
ビルマ独立義勇軍が持っていた美徳
アウンサンスーチーは、父が築いたビルマ独立義勇軍について次のように述べている。
アウンサン将軍は、彼が立ち上げたビルマ独立義勇軍を、厳しい規律と誇らしさに満ちた組織としたが、それは次のような盤石な美徳によって築かれていた。
- 腐敗しない清廉さ
- 自己犠牲
- 自己規律
- 強靭さ
私は、その通りだと思う。
スーチーはその由来について述べてはいないが、その清廉さと自己犠牲と自己規律と強靭さは、まさしく、アウンサンが二か月間の海南島での日夜を通じて集中的に行われた陸軍中野学校による教練で、日本から得たものではなかっただろうか。
アウンサンスーチーは、アウンサン将軍がもし生きていたならば、麾下の兵士たちに次のように警告しただろうと言う。
- 不正を働くな
- 我々は国家の敵ではない
- 我々は国家の友である
しかしながら、アウンサン将軍はビルマ独立を目前にして暗殺者の凶弾に倒れた。
ビルマの人々があこがれて期待した"Boh"(将校)たちが、アウンサン死後に担った政権が、やがて次第に腐敗化し、民衆の心から次第に離れて既得権益集団化していった経緯は、実に皮肉で哀しい道のりであった。