『葵祭の始原の祭り 御生(みあれ)神事 御蔭祭を探る』 新木直人 著
- 著者: 新木直人 著
- 出版社: ナカニシヤ出版
- 発行日: 2008年11月25日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 2,090円
葵祭の前儀としての御蔭祭
京都好きの方なら誰でも知っているように、「京都三大祭り」と言われる三つの祭りがある。葵祭(あおいまつり)と祇園祭(ぎおんまつり)と時代祭(じだいまつり)である。
時代祭は明治時代になって始まった新しい祭りである。祇園祭の始まりは9世紀とされる。そして、葵祭の始まりはと言えば、なんと6世紀にまでさかのぼるという。平安時代に貴族たちが単に「まつり」と言えば、それは明らかに「葵祭」を指すほど、都の宮廷では非常に大きな精神的支柱となる行事が葵祭だったのである。
葵祭は賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)と賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(上賀茂神社)で毎年5月15日に行われている。
この葵祭の前儀として5月12日に御蔭(みかげ)神社で行われている御蔭祭(みかげまつり)という祭事・神事があるが、本書は、その御蔭祭の歴史と神事の詳細について書かれた本である。
下鴨神社(賀茂御祖神社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)は、行ったことがある方は多いだろうが、御蔭神社(みかげじんじゃ)をご存知の方は少ないと思う。
御蔭神社の場所は、東山三十六峰の二番目の山:「御生山(みあれやま)」もしくは「御蔭山(みかげやま)」と呼ばれている小高い丘陵(海抜146メートルにすぎない。)の森林の中にある。御蔭神社には私も行ったことがあるが、叡山本線の終点「八瀬比叡山口」をおりて高野川の左岸の小道をしばらく歩いていくと御蔭神社はあった。鬱蒼とした森の中にあって人影もまったく見られなかったが、山の中の参道の真ん中に太い蛇がいるのを見たりして、神聖さと原初的な神への畏怖とが同時に存在する場所だという感覚を抱いたことがある。葵祭の前儀が行われる神社として前々からその名は知ってはいたものの、訪れたのはその時が初めてだった。そして、それ以来、御蔭神社と御蔭祭のことが頭の隅から離れず、この本があることを知って取り寄せたのだった。
下賀茂神社の宮司が執筆
本書著者の新木直人氏は、下賀茂神社(賀茂御祖神社:かもみおやじんじゃ)の宮司である。私は京都の放送局に勤めていた時に新木氏にお会いしたことがあるが、柔和な笑顔がとても素晴らしい方だった。新木直人宮司は昭和12年に賀茂御祖神社職舎で生まれ、京都国学院から旧大阪外国語大学(現大阪大学)に進み、賀茂御祖神社に奉仕してきた根っからの京都らしい宮司である。
本書は、さすがは宮司でなければここまでは書けまいと思われるほど、広範かつ深奥(しんおう)でつまびらかである。古地図や神事の「位置図(配置図)」や写真も多く掲載されている。
また、巻末には本書170ページの内のわずか6ページにすぎないが大谷大学のモニカ・ベーテ(Monica Bethe)教授が翻訳した英語版のレジュメを付録として載せてある。
みあれ神事の本質
東山三十六峰の二番目の山である御生山(みあれやま)もしくは「御蔭山(みかげやま)」の名前が史料に初めて登場するのは、818年(弘仁9年)のことだという。788年(延暦7年)に最澄(さいちょう)が延暦寺を建立したが、延暦寺の四支(しいし: 東西南北四方の境界)を定めた記録『山家要記』に「西 神聖影山(みかげやま)」と既に記されているという。
多くの史料にこの御蔭山で行われた儀式、「御生神事(しんじ)」のことが記されていると新木宮司は言う。「みあれ」の文字は史料により、「御生」、「御荒」、「御顕」、「産霊」と異なっているが、いずれも御蔭祭の御生神事(みあれしんじ)のことだという。
賀茂・鴨社の氏人たちは、あらゆる生物の生命の根源(本書では「根元」)である生命を生む神秘的な力に不思議さを感じて、超自然的な存在を「あれ」、または「みあれ」と称していたのだという。こういう神秘的な神霊を感得することを「神結(かみむすび)」と言い、または「産霊(みあれ)」と呼ぶ。そして、神の働きを讃えるために神事を執り行い、祭りを繰り返して千万の祈りを神にささげるのだという。
本書は一般読者にとっては、あまりにマニアックすぎる本かもしれない。しかし、神道、神事、祭事を研究する人にとっては妙妙(みょうみょう)たる一冊となることだろう。
単行本