『アメリカの日本空襲にモラルはあったか』 ロナルド・シェイファー著, 深田民生 訳
- 著者: ロナルド・シェイファー, 深田民生 訳
- 言語: 日本語版
- 出版社: 草思社
- 発行日: 1996年4月25日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 絶版
道義的モラルによる疑念が最初は存在した。
本書は、アメリカの歴史学者によって書かれた本である。著者のロナルド・シェイファーは、プリンストン大学で歴史学博士となり、アメリカの大学で歴史学の教鞭をとってきた。本書はシェイファーの代表作のひとつである。
シェイファーは、アメリカ陸軍航空軍の公史のなかに注目すべき一節を見つけ出したことから、爆撃と道義の問題を研究するようになった。それによると、在欧アメリカ戦略航空軍司令官は、ドイツ国民に爆撃を加えることでドイツの士気を挫こうという勧告に反対したというのである。この将校は爆撃に伴う道義的問題を繰り返し提起し、ワシントンの航空軍司令部もまた、こうした作戦は航空軍政策と国家的理念に反するという理由で彼を強く支持したのだという。野蛮で残虐な戦争という嵐のさなかに、アメリカの将軍たちの中には道義心に基づいて軍事作戦計画に意見していた者がいたことに著者は驚かされたのだった。
それでは、こうした道義的関心とアメリカの国家的理念に基づく無差別爆撃への反対論がありながらも、なぜ、その後、一般民衆への無差別爆撃や原爆投下という民間人の大量殺戮が実行されていったのであろうか。
真珠湾攻撃はその3年前に既にミッチェル将軍によって予想されていた
アメリカ陸軍航空軍が第二次大戦に突入したときの教義の基礎は、主として第一次大戦の戦場で形成されたという。第一次大戦では、欧州西部戦線のごく小さな土地をめぐる膠着戦で、なんら重要な軍事目的も達せないままに若い兵士たちが何十万人と戦死していった。そういう状況を見た各国軍の将校たちは、次の戦争では、航空機がそんな膠着戦を飛び越えて、毒ガス、焼夷弾、爆弾を使って敵を破壊して敵国住民たちを降伏させることを思い描いたのだという。そういう軍事思想は、イギリス空軍のトレンチャード、アメリカ陸軍航空隊のミッチェル、イタリアのドウエットらによって提起された。彼らのなかでもドウエットの思想は最も過激だった。ドウエットが考えた戦争の形は、全国民と全資源が動員された総力戦であり、そこでは、戦闘員と非戦闘員の区別は消滅するとされた。軍事行動の主要目標は敵の軍隊だけではなく、国家の中枢、敵軍事力の源泉で、それが航空戦力によって撃滅されるという戦争の姿だった。ドウエットは1921年の著書『制空権』のなかで、こうした戦争下の人々の状況は「悲劇的」になるとしているが、それでも、一般市民の住宅地域を戦場に変えることで、終戦は慈悲深いほど迅速に訪れるであろうし、それゆえ、そういう形の戦争は、長い目で見れば流血を少なくするのでむしろ「人間的」でありさえすると主張した。
ドウエットの著書は英語版に翻訳され、第二次大戦のすべてのアメリカ航空軍指導者たちが陸軍飛行隊戦術学校に通っているときに読むことができたので、ドウエットの無差別爆撃理論は米国空軍指導部に大きな影響を与えたはずだと、シェイファーは述べている。
アメリカのビリー・ミッチェル将軍は、日本のパールハーバー攻撃(ハワイの真珠湾攻撃)をなんと、その三年前から予測して、日米戦争はどのような戦略で戦われるべきかを検討していたという。ミッチェルが考えた対日攻撃計画案の主軸は、日本の諸都市に対する焼夷弾攻撃であった。そして実際に、対日戦争の最後の6ヵ月間でその焼夷弾攻撃は実行に移された。
日本の都市への焼夷弾攻撃は戦前から準備されていた
アメリカ陸軍飛行隊の将校らは、1941年12月8日にに日本海軍がパールハーバーを急襲するよりもかなり以前から、すなわち戦前から、日本の諸都市の人口密集地域に対して火炎兵器、すなわち焼夷弾を使用することを考え始めていたという。ミッチェルが示唆し始めたこの焼夷弾攻撃案は、陸軍飛行隊戦術学校で議論された。開戦より2年前の1939年の春には、アメリカ陸軍飛行隊戦術学校の教官C・E・トーマス少佐は(彼の言葉で)「かなり実際的な重要性をもった」課題である「対日航空作戦」に関する講義を行っている。少佐が着目したのは1923年の関東大震災の時に起きた都市大火災で、このことから日本の都市がいかに火災に脆弱であるかがわかり、米軍による焼夷弾攻撃は、日本に甚大な被害を与えることができるだろうとした。そして、日本の一般市民に対する直接攻撃は日本人の士気を破壊するのに有効だろうとトーマス少佐は主張した。
日本の諸都市への焼夷弾攻撃という戦略プランに基づき、陸軍化学戦局は、飛行機に火炎焼夷兵器を採用するように要請してきたが、真珠湾攻撃に先立つ1941年6月にコロンビア大学化学教授でもあったエンリケ・ザネッティ大佐をロンドンに派遣し、その後に化学戦局の焼夷弾開発の責任者とした。こうしてずっと以前から予測されていた通りに日本海軍による真珠湾攻撃がその年の12月に勃発すると、化学戦局は、マサチューセッツ工科大学のなかに焼夷弾研究所を設立した。そして焼夷弾を実用化するために、デュポン社、イーストマン・コダック社、スタンダード石油開発会社などの企業に協力を求めた。まもなく、スタンダード石油は小型で有効な焼夷弾M69の開発に成功した。焼夷弾爆撃による日本の諸都市の破壊はその後、予定通り実行され、その焼夷弾攻撃は、さらにその後、原子力による巨大な炎による攻撃へと引き継がれていくのだった。
本書の章立ては、以下のようになっている。
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- アメリカの航空戦指導者
- アメリカ陸軍航空軍の戦いの教義と一般市民に対する爆撃
- ヨーロッパにおけるアメリカの航空作戦
- ドイツに対する爆撃① 初期の作戦
- ドイツに対する爆撃② ドウエット的戦争への移行
- 日本に対する爆撃① 焼夷弾攻撃の準備
- 日本に対する爆撃② 東京から長崎へ
- 日本に対する爆撃③ 道義的問題に対するアメリカの認識
- 道義的問題への反応 多様性の説明
本書は、驚きに満ちている。日本の真珠湾攻撃がその3年前から米軍の将軍によって予測されていたということも衝撃だが、米軍は開戦後の対日侵攻作戦も周到に準備し、日本の各都市への主として民間人を対象にした無差別爆撃や、その無差別爆撃をより効率的にする焼夷弾の開発も、戦前から既に着手していたというのである。
本書は、戦争と平和という問題を深く考えるためにも、より多くの人々に読まれるべき本であると思う。