『芥川賞全集 第一巻』
- 著者: 石川達三、鶴田知也、小田嶽夫、石川 淳、冨澤有爲男、尾崎一雄
- 出版社: 文藝春秋
- 発行日: 1982年2月20日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 2,670円
芥川賞第1回~第3回の作品と選評
本書は芥川賞第1回から第5回までの授賞作と選評である。ここでは、そのうち、第1回から第3回までについてふれる。第4回と第5回は、次巡(つづき)でふれることとする。
ここでは、これらの芥川賞作品の書き出しの一節と、登場人物(主人公とは限らない)の目を引いたセリフ、そして締めの一節だけを引っぱってくることとする。さらに、「選評」で目にとまった選者ひとりの一文だけを抜き写しすることとする。私の感想はあえて一切述べない。なお、ルビは括弧付けにしてある。「授賞」の字は儘(まま)。
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第1回授賞作: 『蒼茫(そうぼう)』 石川達三
<書き出し>
「一九三〇年三月八日。
神戸港は雨である。細々とけぶる春雨である。海は灰色に霞(かす)み、街も朝から夕暮れどきのように暗い。
三ノ宮駅から山ノ手に向う赤土の坂道はどろどろのぬかるみである。」
<セリフ>
「俺あ覚えてるぞ。お前なんて言った? 四月までにブラジルさ行がねば引っぱられっから早く行くんだと言わねかったか?」
<締め>
「床の鉄板を振るわせてエンジンの音がだだッと響いてきた。丸窓の外の舷側に砕ける波の音がざッざッと高く聞こえてきた。速力が加わったのだ。」
<選評: 久米正雄>
「石川達三君の『蒼茫』は、心理の推移の描き足りなさや、稍々粗野な筆致など、欠点はハッキリしているが、完成された一個の作品として、構成もがっちりしているし、単に体験の面白さとか、素材の珍しさで読ませるのではなく、作家としての腰は据っている。」
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第2回授賞作: 該当者なし
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第3回授賞作: 『コシャマイン記』 鶴田知也(同時授賞)
<書き出し>
「巫女カピナトリの神謡序 これは祖母が神威(カムイ)様から授かって私に伝えた神話だ。祖母は大変よい声だった。私はだめだ。それにたくさん忘れたところがある。そんなところは私が思う通りに唱ってしまう。」
<セリフ>
「お前がその兎をくれるなら俺たちは酒をやろう」
<締め>
「やがて氷が淵を被うた。そしてわずかに氷の上に見えていたコシャマインの砕けた頭部を、昼は鴉どもが、夜は鼠どもが啄(ついば)んで、その脳漿(のうしょう)のすべてを喰らい尽したのであった。」
<選評: 佐佐木茂索>
「『コシャマイン記』は面白かった。鴎外の或種の翻訳物を読む感じがあった。」
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第3回授賞作: 『城外』 小田嶽夫(同時授賞)
<書き出し>
「二十五歳の晩夏のことである。神戸を出発(た)ってから六日目の夕方支那杭州の領事館へ着いて、前任書記生の杉本の支那風の古びた官舎の二階に落ちつき、珍しい支那料理と麦酒(ビール)の饗応にあずかっている間じゅう、円卓のわきに南洋製の棕櫚(しゅろ)の葉の団扇(うちわ)で扇(あお)ぎながら、丈の高い鼻の小さく、額のおでこの、浅黒い顔色の支那人の阿媽(あま)(女中のこと)が立っていた。」
<セリフ>
「フン! あんまり官僚的な了簡(りょうけん)はみっともなくて見ちゃあいられない」
<締め>
「ふと、「主(あるじ)よ、食事整え終れり」という聞き馴れない声に目を醒まされ、はっと目の前を見ると、阿媽部屋の入口に、いつのまにか暮れ果てた薄闇の中に、桂英ではない、両顎の角ばった、目の無気味に細く吊(つ)った、浅葱色(あさぎいろ)の綿服を纏(まと)った角刈りの男がいかつい表情でつっ立っていた。」
<選評: 佐佐木茂索>
「『城外』はいまだしの感ありと席上で云ったら、行き過ぎている位永い事書いている人だという事で驚いた。」
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