『アフガニスタン紀行』 岩村 忍 著
- 著者: 岩村 忍
- 出版社: 朝日新聞社
- 発行日: 1955年9月10日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 絶版
66年前のアフガニスタン
本書は、1954年のアフガニスタン旅行の記録を翌年1955年に出版したものである。
著者は、シルクロード学のパイオニアとして知られる岩村忍である。岩村はカナダのトロント大学大学院を修了し、満州事変のリットン調査団にも随行した経験があるという。国連にも勤務して、その後は京都大学人文科学研究所の教授となった。専門は内陸ユーラシア史である。
私(書評者)は、戦時下のアフガニスタンを取材で2回訪れたことがあるので、アフガンの風土文化と人々にはとても愛着があってこの本を古書で入手した。この本についての私の一番の関心事は、六十六年前のアフガニスタンはどのような状況と雰囲気だったのだろうということだった。私の想像通り、今から66年前:1950年代半ばのアフガニスタンには、平和と安寧と悠久を感じさせるゆったりとした時間が、本書からは感じられた。
「ドーン」という大砲の音
本書は第一部と第二部のふたつに分かれた構成になっている。第一部では、パキスタンのペシャワールからバスに乗ってのカーブル(カブール)までの旅程、高原の首都カーブルの様子、ヒンドゥークシュ山脈の横断、廃都バルフ、砂漠やオアシス、蒙古人、バダクシャン高原が紹介され、第二部では、ハザラジャート、豪族の質素な暮らしぶり、ハザラ族、カンダハルへの旅が述べられている。
ヒンドゥークシュ(本書の表記では「ヒンズー・クッシュ」)山脈の横断では、バーミヤーン(本書表記では「バーミーアーン」)の様子も出てくるが、本書掲載の白黒写真では、バーミヤーンの「53メートル」の「大石仏」の写真も掲載されている。その写真では、この頃から「大石仏」の顔が既に削り取られていたことがわかる。
「人口六万人(当時)」というマザーリシャリーフ(本書表記は「マザリ・シェリーフ」)に着いて、ホテルで出会った鉱山省次官と話していると、突然、ドーンという大砲の音に著者は驚かされた。しかし、この大砲の音は、ラマダーン(断食月、本書表記では「ラマザーン」)の開始を知らせる音であった。「大砲の音」と読んで私も、この頃にも紛争か・・・と一瞬身構えたのだが、やはりこの頃は平和だったのだなとつくづく思い知らされた。
アフガニスタンの紛争の歴史
アフガニスタンの紛争の歴史は、本書には一切書かれていない。
少なくとも現代史において、アフガニスタンで動乱が始まるのは、1973年のダウド・カーン中将によるクーデターと君主制の廃止からだと思われる。その後ダウドは殺されて、ロシアの後援によって新ソ連派が台頭した。監獄から出たヌール・モハメッド・タラキは革命評議会の議長と首相に就任した。タラキは旧ソ連のKGBの後押しで反ロシア勢力を弾圧追放し、社会主義化を進める。この頃からアフガニスタンには血で血を洗う権力闘争があらわになっていった。アフガニスタンの地方でも山賊の出没が増加していった。タラキはやがて、またクーデターで倒される。クーデターを起こしたのは、さらにもっと親ソ連派のアミンだった。旧ソ連は軍事顧問団をアフガニスタンに送り込んで強大な軍事援助をし、やがて、そのアフガニスタンに旧ソ連自らが1979年12月に武力侵攻していったのだった。
本書は、平和なアフガニスタンの悠久の時を思わせる1954年時点の旅行記である。少なくとも、この66(六十六)年前の時点では、本当に平和なアフガニスタンであった。本書を読んで当時の状況に没入しているあいだは、私もしあわせな気分を味わえた。
しかし、現在のアフガニスタンの状況を思うと哀しくも複雑きわまりない気持ちをおさえることはできない。