『河北秀也の デザイン原論』 河北秀也
- 著者: 河北秀也 著
- 出版社: 新曜社
- 発行日: 1989年5月15日
- 版型: 単行本
- 価格(税込): 絶版
「いいちこ」の広告で一世を風靡
本書は、東京藝術大学美術学部名誉教授の河北秀也によるデザイン論である。
河北秀也は東京藝術大学在学中にサクマ製菓の「いちごみるく」のパッケージデザインを手がけたという。ミルクをイメージする白地に緑のヘタをつけた真赤なイチゴを配して、「サクマ」というロゴをヘタと同じ緑色で入れたデザインは、サクマ製菓の「いちごみるく」の美味しさと相乗効果を生んで、この商品のロングセラーとしてのブランド地位を不動のものとした。
河北は東京藝大卒業後に、1974年に日本ベリエールアートセンターを設立してより精力的に広告デザイン制作に取り組んだ。様々なジャンルの広告にユニークな足跡を刻み続けてきたが、特に有名なのは、焼酎「いいちこ」の広告デザインだろう。
「いいちこ」広告の衝撃
私は「いいちこ」の広告写真を初めて見たときの衝撃を忘れない。
(写真出典: 三和酒類株式会社HPより)
通常の広告ならば、商品を前面に打ち出す。しかし、この河北のデザインによる広告写真では、一見、どこに商品があるのかがよくわからない。しかも、ブランド名さえも、注意深く見なければ発見できないほどロゴが小さく、しかも花の色とロゴの色がほとんどかぶっている。また、通常ならば、「うまい!」とか、「おいしい!」とか、「辛口」とか、「ドライ」とか、商品特性を訴求する筈のキャッチコピーが、たとえば、上掲の広告では、「落花小径。」と詩的な四文字が小さく縦書きであるだけである。
広告の世界では、通常であれば、スポンサーはこんなことは許さない。広告主へのプレゼンはおろか、広告会社内での提案の段階で上司から却下される場合さえあるかもしれない。それをやってのけていることに、私は驚きを隠せなかったのである。
「トレンド」主義に対する疑義
河北は、本書の「序にかえて」の中で、次のように述べている。
「トレンドという言葉がはやっている。世の中の流れに合わせて、モノを作らなければ、受け入れられないぞ、という一昔前のファッションとか感性という言葉の使われ方とほとんど同じである。・・・・・・マーケティング的発想で作られたモノに、生活者はマーケティング的発想で受け入れ、マーケティング的発想で消費していく。本質的な考察がなされないまま次々にモノが作られ 状況を生み、その状況の中でモノが考えられていく。こんな状態で本当に良いのだろうか」
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藝大2年生「いちごみるく」デザインに猛反対
河北は東京藝大2年生の時に、サクマ製菓でパッケージデザインの仕事にアルバイトで携わった。その時のことが本書にも書かれている。藝大2年生の河北のデザインができて社内で企画会議にかけられた時、社長以下営業部長ら会社の幹部が勢ぞろいしたなかで河北のパッケージデザインがプレゼンされた。すると、企画会議の全員が猛反対したのだという。なぜならば、サクマ製菓で過去に売れた商品のパッケージデザインとまるっきりかけ離れた意匠だったからである。営業で長い経験から発言するお歴々の猛反対で、藝大2年生アルバイトによるデザインは却下されることは明々白々の状況に陥った。
この全員の猛反対をひととおり眺めていた社長がそこで一言だけ発言した。「まあ、売れないだろうけど、問屋をひとまわりしてみればいいじゃないか」
社長の発言で、却下寸前の藝大2年生バイトのデザインが、とりあえず採用された。
結果は、「いちごみるく」アメの斬新な美味しさとあいまって爆発的なヒットになった。売上グラフが急上昇して、工場がフル稼働しても生産が間に合わなかった。
普通の案を選ぶスポンサー
斬新な(本の表記では「おもしろい」)案をA案として、やや斬新な(ややおもしろい)案をB案として、ごく「普通の案」をC案として、3段階の案を並行して提案することがよくあるという。こうすると、どれかに相手(スポンサー)が納得してくれるからだという。
そして、河北は言う。「やはり普通の案に決まる確率が大きい」
CM撮影現場のエージェンシー(広告会社)とクライアント(スポンサー)との会話にはタテマエとホンネがあると河北は言い、その例を次のように挙げている。
エージェンシーの声: 「きょうは、撮影現場まで遠いところ足を運んでいただきまして、ありがとうございます」
(エージェンシーのホンネ: 「来なくてもいいのになあ。撮影現場で、ああだ、こうだ言われちゃ、スタッフがのらないんだよなあ」)
クライアントの声: 「どんなのが撮れるか大いに期待しているよ」
(クライアントのホンネ: 「ちゃんと見てないと、何撮るかわからないからなあ。結局、責任とらされるの俺だから。ああ心配」)
「いいちこ」広告の指針
大分県の三和酒類の焼酎「いいちこ」の広告は、1984年4月から、月1枚のペースで、B倍判ポスターの交通広告を行ってきたという。
大がかりな市場調査を行ったところ、「いいちこ」の愛飲者の典型的な姿は、「四十代、年収六百万円以上、日本経済新聞の愛読者」ということがわかったという。
チューハイブームが起こったものの、焼酎は安い飲み物というイメージが広がっていたという。そこで、「いいちこ」が生き延びるためには、他の焼酎と差別化してまったく異なるイメージを商品に打ち出す必要があったのだという。
本書は、効果的な広告とはいったい何なのだろうかということを広告制作の現場の目から問題提起をした刺戟的な書である。
広告やデザインに携わる人々はもちろん、その世界を目指す学生たちにとっても、きわめて興味深い鼓舞を与えてくれることだろう。